「いまさら愚痴をいうんじゃねえが、こうべっぴんばかりいるところへ来てみるてえと、せめてもう五寸背がほしいね」
「泣くなよ、泣くなよ。ちっちぇえ花魁《おいらん》だってあらあな。しかし、それにつけても、だんなにばかりゃ、うっかり気を許すなよ。堅仁だかと思うと、気味がわるいほど恐ろしく通人で、通人だかと思うと変にまたこちこちなんだからな。いい気になるてえと、またぽかりしょい投げを食わされるぜ」
たわいのない配下たちの、たわいないささやきを聞き流しながら、名人はしきりと行きかう人を物色していましたが、おりよく通りかかった金棒ひきを見つけると、しらばくれて尋ねました。
「幇間の蛸平というは、どこにいるか存ぜぬか」
「ついそこですよ。ほら、あそこに四ツ菱屋《びしや》っていう揚げ屋がござんすね。あのちょうどまうしろになっていますから、行ってごらんなせえましよ」
蛇《じゃ》が出るか、へびが出るか、しだいに怪しのなぞがせばめられてまいりましたものでしたから、疑問の髪の毛をしっかりこわきにかかえて、いまだに狂えるもののごとく、必死にニャゴニャゴと鳴き慕っている怪猫を従えながら、ただちに教えられた蛸平の住み家に向かいました。
3
しかるに、行きついてみると、それなる吉原|幇間《ほうかん》がすこぶる奇怪でした。ずいとものをもいわずに上がっていった右門の姿と、そのこわきにかかえられている怪しの髪の毛を認めるや、ぎょッとあとずさりして、みるみるうちにくちびるまで色を変えていましたが、やにわにそこにあったあんどんをけたおしたまま、必死に表のほうへ逃げ走っていったものでしたから、鋭い命令の下ったのは当然!
「辰ッ、投げなわで押えろッ」
しかし、妙です。
「おやッ。辰めがどこかへ消えてなくなっちまいましたぜ!」
「なにッ、いない? ねこはいるかッ」
「そいつもいっしょに駆け落ちしちまったらしいですよ」
蛸平に、辰に、怪猫と、一瞬に三個の姿が、忽焉《こつえん》としていずれかへ消滅してしまったものでしたから、いかな捕物名人も、これにはいたくめんくらったようでしたが、と、――そのときまさしく裏の、へい一つ越えた四ツ菱屋の二階とおぼしき方角に当たって、ニャゴウとひときわ鋭く鳴きたてた怪猫の声がありましたので、いよいよいぶかしみながら、はせつけてみると、そもいったいどうしたというのであ
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