、まさしく右門を目ざしての手裏剣でしたから、ちょっとけしきばんで立ち上がろうとすると、間をおかないで二本めが、あやうく左をかすめながら、プツリ、またうしろのふすまに突きささりました。といっしょに、三本めの短いドスがかわすあとからおそいかかって、間一髪のところを上にそれつつ、プツリとまたふすまに突きささりましたものでしたから、うろたえたのは伝六で、なにはともかく正体を見届けなくてはとばかり、あわてて短檠《たんけい》をふりかざしながら、庭先へさし出そうとすると――
「兄貴! いらねえよ! いらねえよ! ここにりっぱなちょうちんがあるじゃねえか!」
 新参の配下善光寺辰が、いまぞ初てがらといいたげに急いで止めて、希代な目ぢょうちんを光らしながら、じっと庭の向こうを見かすめていた様子でしたが、おどろいたもののごとく叫びました。
「だんな、だんな! くせ者は十五、六ぐれえの小僧っ子ですぜ!」
「えッ、少年かッ。なんぞ子細があろう! 捕えろッ、捕えろッ」
 いう間も五本七本と、矢つぎばやに小柄《こづか》の雨を集中させていましたが、それを右へ左へあざやかに、ひらりひらりと右門が身をかわしながら、激しい下知を与えましたので、相手も捕えられてはならじと思ったものでありましょう、最後の八本めに失敗するや、とつぜん、ばたばたと逃げだしましたものでしたから、いつもこういうふうに物事の山が見えたとなると、にわかに強くなるのは愛すべき伝六です。
「まて、小僧ッ。逃げようたッて、逃がしゃしねえぞッ」
 しりからげになって追おうとすると、呼び止めておどり出したのは善光寺辰でした。
「兄貴! 忘れるなよ! 忘れるなよ! おれにこういう芸当があるじゃねえか!」
 叫びざまに、こぢんまりとしたからだをちょこちょこと走らせて、逃げゆく影を追跡していった様子でしたが、いかさま名詮《めいせん》自称のことばのとおりで、右手のうちから得意の投げなわが、するすると長いへびのごとく伸びたかとみるまに、わざは知恵伊豆守が希代の名技と折り紙つけた秘芸でした。ねらいの狂うはずもなく的確に効を奏して、くねりと黒い影の首筋にからみついたものでしたから、ざまをみろッとばかり伝六が鼻を高めて、自分のてがらででもあるかのようにそこへ引きたててきたまでは無事でしたが、しかるに少年はなんともかとも奇怪千万でした。
「死んでやらあ! 死んでやらあ! もうこうなりゃ、おれもいっしょに死んでやるから、さ、殺せッ。さ、殺せッ」
 きりきりと歯を食いしばって、こめかみのところにみみずばれのような太い癇癪筋《かんしゃくすじ》をたてながら、だれといっしょに死んでやるというのか、おれも殺せ、おれも殺せと、わけもなくののしり叫んだものでしたから、ぽかんとしてしまったのは伝六で――、
「こりゃだんな、どうもキ印のようでござんすぜ」
 そろそろとお株を始めた様子でしたが、しかし右門は黙ってまずそれなる少年の人相風体を一見いたしました。見ると、これがどうもいよいよ奇態で、年のころはいかさま十五、六のようでしたが、いぶかしいのはその風体でした。顔から首が一帯の濃いおしろいで、着付けはけばけばしい大模様の振りそでの上に、うがっているはかまなるものがまた、どうしたことかまっかです。
「ほほうのう、ちっとこりゃ変わり種かもしれねえな」
 つぶやきながら、じろじろと見ながめていた様子でしたが、やがてずばりと名人の断定するがごときことばが放たれました。
「そなた、どこぞの小屋掛けしばいに出ている役者だな」
 ところが、少年は何をそんなに憤慨しているのか、わけもなく癇癪《かんしゃく》筋をふくらませて、おそろしくいけぞんざいな痛罵《つうば》を右門に浴びせかけました。
「めくら役人めが、なにょぬかしゃがるかい! 役者だろうとなんだろうと、大きなお世話だ。こうなりゃもうじたばたしねえから、さ、殺せ! さ、殺しゃがれッ」
 いう少年も少年でしたが、聞いていった右門もまた右門でした。
「そうか、じゃ、望みどおり殺してやるが、おれの殺し方は、ちっと冷たいぜ」
 変なことをいいながら、うそうそと笑いわらいかたわらを顧みると、伝六に不意と命じました。
「辰にもてつだわせて、手おけに水を二、三杯持ってきなよ」
「え※[#疑問符感嘆符、1−8−77] 水で人間が死ねますかい?」
「またお株を始めやがったな。なにもいちいち聞き返さなくっていいじゃねえか。持ってこいってたら持ってきなよ」
「いいえね、あっしゃもう一年のうえもだんなのそばにくっついているんだから、どんなとんちんかんなことをおっしゃろうと、まただんなのおはこが出たなと思うだけで、べつに驚きゃしませんが、善光寺辰あ、まだほやほやなんだからね、さぞかしめんくらうだろうと思って、ちょっと兄貴風を吹かしてみただけなんですよ」
 変なところへ吹かしばえのしない兄貴風を吹かしながら、それでも先にたって井戸ばたのほうへやっていったようでしたが、まもなくふたりして、よちよちと、手おけに三杯掘り井戸の冷たいところを運んでまいりましたので、何をするかと思われたのに、いつもながらそういうところが、じつに右門流でした。
「さ、望みどおり殺してやるから、ちょっとこっちに首を出しなよ」
 いいつつえり髪を捕えて、そこの縁側へひきずっていくやいなや、やにわにじゃあじゃあとくみたての冷やっこいところを、少年の首から頭へ浴びせかけましたものでしたから、まことに春先ののぼせ引き下げにはこれこそ天下一品の適薬です。一杯一杯と浴びるごとに、しだいしだいと心が静まったとみえて、ややしばし少年がきょとんとしていましたが、いよいよいでていよいよ奇怪千万でした。にわかにがらりとうって変わって、神妙に右門の前へ両手をつくと、とつぜん変なことをいいだしました。
「あんまり腹がたちましたゆえ、ついカッとなりまして、前後も知らずにだいそれたまねをいたしましたが、もうお手向かいはいたしませぬゆえ、どうぞだんなさまも、わたしの姉をお返しくださりませ。お願いでござります。お願いでござります。はようお返しなされてくださりませ」
「なに※[#疑問符感嘆符、1−8−77] そなたの姉とな※[#疑問符感嘆符、1−8−77]」
 まったくの不意打ちでしたから、いたく右門もめんくらいましたが、しかし少年はおしかぶせるようにいいつづけました。
「おとぼけなさりますな! 先ほどだんなさまお自身がお引っ立てなさったはずではござりませぬか」
「まてまて。やぶからぼうに、妙なことばかり申すが、いったいわしがそなたの姉とやらをどうしたというのじゃ」
「どうしたもこうしたも、ちゃんとだんなさまご自身がよくご存じのはずではござりませぬか」
「ますます奇態なことを申しおるな。まさか、人違いしているのではあるまいな」
「ござりませぬ! ござりませぬ! たしかに、むっつり右門のだんなさまと承知して、すぐさまかように押しかけてまいったのでござります。わたくしの姉にかぎってそんなだいそれたことをいたすわけはござりませぬのに、親方を殺した下手人じゃとおっしゃいまして、つい今のさっきお引っ立てなさいましたとききましたゆえ、返していただきに上がったのでござります」
「なにッ、親方殺しの下手人とな※[#疑問符感嘆符、1−8−77] いよいよ聞き捨て[#「聞き捨て」は底本では「聞て捨て」]ならぬことを申すが、そなたの姉がどこで何をいたして、どこのどんなむっつり右門が引いてまいったと申すのじゃ」
 不意からいでて、ますます不意なことばでしたから、右門がしたたかにめんくらっていると、少年がへへいというように、ややしばしまじまじと名人の面を見つめていた様子でしたが、けげんそうにいいました。
「では、あの、だんなさまは少しもご存じないのでござりまするか」
「知らぬ、知らぬ。まったくの初耳なればこそ、かくおどろいているしだいじゃが、いったいいかがしたのじゃ」
「いかがも何もござりませぬ。まことご存じよりがござりませねば、詳しゅう申し上げいではなりませぬが、実はこうでござります。わたくしめは、いかにもだんなさまが先ほど仰せられましたように、この月初めから奥山の娘かるわざ師一座に仲間して、つたない手裏剣打ちをお目にかけておりまする芸人でござりまするが、つい半刻《はんとき》ほどまえでござりました。いつものように舞台を済まして、なにげなく楽屋へ帰ってまいりますと、ひどう皆さまがお騒ぎでござりましたゆえ、なんじゃと申して尋ねましたら、座元の女親方が、胸先を匕首《あいくち》でえぐられまして、お殺されなさったとこういうのでござりまするよ。それも、わたしの姉が下手人じゃと、みなさま一様に申されましたのでな、ぎょうてんいたしましてよくよく尋ねましたら、いったいどうしたことでござりますやら、お殺されなさった親方さまが、わたしの姉の着ておりました衣装の片そでを食いちぎって死んでおりましたゆえ、それが何より動かぬ下手人の証拠じゃと申しまして、その場からお引っ立てなさりましたと聞きましたゆえ、このとおり舞台姿のままで、すぐさま取り返しに追うてまいったのでござります」
「ほほうのう。では、その引っ立ててまいった者が、このわしじゃと申すのじゃな」
「はい。座方の皆さまがたもさように申しましたが、ご本人もそのときおっしゃったげにござります。実は、いま観音さまへ参詣《さんけい》に来て、人殺しのうわさを聞きつけ、すぐさま参ったが、わしは八丁堀のむっつり右門じゃ、この右門がこうとにらんだまなこに狂いはないゆえ、ふびんながら、それなる女は下手人として引っ立てまいるぞ、とこのようにご自身申されまして、わたしの姉を無理無体におくくしになりながらお連れ帰りなさったと聞きましたゆえ、たとえだれがなんと申されましょうとも、姉にかぎってそんなむちゃなことはしないはずと、ついカッとなりましてあとを追いかけ、あそこの茂みで様子をうかがっておりましたところへ、だんなさまがたのお姿が見えましたゆえ、てっきりもう姉を牢屋《ろうや》へぶち込んでのお帰りと存じまして、ちょうど舞台から持って帰ったままの手裏剣がふところにあったのをさいわい、腹だちまぎれに前後のわきまえもなく、先ほどのようなだいそれたまねをしたのでござります」
 事実としたら、親方殺しの下手人が、それなる少年の姉であるか否かは二の次として、はしなくもここにむっつり右門がふたり生じたわけでしたから、いかさまこれは奇態といわねばなりませんでしたが、しかし、逐一を聞くや同時に捕物名人の面にまず上がったものは、ほんのりとした微笑です。それから、例の烱々《けいけい》としたまなこをらんらんと光らして、おもむろに、あごのまばらひげをつんつんとひっぱっていたようでしたが、いっしょにずばりと天下第一の胸がすく名|啖呵《たんか》が言い放たれました。
「バカ者めがッ。かたる者に人をかいて、このむっつり右門に化けるとはなにごとだッ――さ、伝六ッ。辰ッ。ちっとまた忙しくなったようだから、久方ぶりに右門流の虫干しでも始めようぜ」
 いいつつ、珍しや今宵《こよい》はすっぽりと紫覆面に姿をかくして、黒羽二重の着流しにりゅうとしながら立ち上がりましたものでしたから、ことごとくおどり上がったのはあいきょう者です。
「ちッ、ありがてえッ。こうおいでなさりゃ、伝六様もおしゃべりのあごにたっぷりゴマの油がひけるというもんだ。辰公もよく覚えておきなよ。おいらがだんなの口に、今のような啖呵が出たなとなりゃ、すぐにあとは駕籠《かご》だッとおいでなさるからね。では、呼びますぜ」
 しかし、駕籠は駕籠でしたが、ちょっと今宵は趣が違っていますので――、
「一丁でいいぜ」
「えッ?」
「おれの分が一丁でいいんだよ」
「急に勘定高いことをおっしゃりだしましたが、じゃ、あっしらふたりはどうするんですかい」
「きまってらな。入費のかからねえ二本の足で走っておいでよ」
「ちぇッ。どうせご番所のお手当金をいただくんだもの、足代ぐらいはしみったれなくたっていいじゃ
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