が雑然として積み重ねられているその壁のところに、紛れもなく男物の、それも土のついた雪駄《せった》が一足隠し忘れてあったものでしたから、名人がにやりと笑うと、手裏剣少年をあわただしく呼び招いて、不意に尋ねました。
「当一座には、男芸人が何人いるか」
「木戸番道具方をのぞきますと、芸人と名のつく男は、このわたくしのほかに、百面相を売り物といたしまする鶴丈《かくじょう》というのがひとりいるきりでござります」
「なにッ、百面相の芸人とな!」
「はい。じつによく顔をつくりかえますゆえ、なかなかの人気でござります」
「何歳ぐらいじゃ」
「もう五十いく歳とやら承りました」
「そんな年で、若い男にも化けおるか」
「はい、別して、若化けが得意芸のようにござります」
「どこにいるか」
「つい、いましがた、向こうの男べやにうろうろとしていましたゆえ、まだいるはずにござります」
 聞くや、じつに唐突な右門流でした。
「じゃ、伝六ッ、辰ッ、もうあっさりとしっぽを巻いて引き揚げようや。百面相の鶴丈先生とやらに、こんどは牛若丸かなんかに化けられちゃ、とてもおれにだって八艘飛《はっそうと》びゃあできねえんだからな――では、梅丸さん、しどけないところへ飛び込んできて、どうもお騒がせいたしました。せいぜいこの張り紙の文句をお守りなせえよ」
 言い捨てると、ゆうぜんと両手をふところにしながら、すうと表のほうに出ていってしまいました。

     5

 けれども、表へ出るは出ましたが、帰るかと思いのほかに、ひらりと身をひるがえしながら、そこの楽屋口をふさぐようにおい茂っていた暗い木立ちの中にすばやく身を潜め入れましたものでしたから、ことごとくお株を始めたのは伝六です。
「ちょっと、ちょっと、だんな、だんな! 何をとち狂っていらっしゃるんですかい。そんなほうにけえり道ゃござんせんぜ。こっちですよ! こっちですよ」
「バカッ、声を立てるなッ」
 しかりつけながら、何者かを待ちうけてでもいるような様子でしたが、と――それを裏書きするかのごとくに、あたりをうかがいうかがい、そそくさと楽屋口へ姿を見せた者は、黒い二つの影です。ひとりは紛れもなく男。あとはまたまさしく女――
 と見るやいなや、すいと名人のからだがつばめのように両名の前へ立ちふさがったと思われましたが、同時に両手でぱッぱッともうあの草香流にものをいわせつつねじあげておくと、ずばりしかりつけました。
「バカ者どもめがッ。おおかたこう来るだろうと思うて、わざと引き揚げるように見せかけたんだッ。さ! こっちの梅丸でもいい。またはそっちの百面相でもいい! ほんもののむっつり右門にかかっちゃ、おめえたちの下司《げす》の知恵ぐれえで、とてもたち打ちできねえんだから、すっぱりどろを吐いてしまいねえな」
 ふたりして高飛びしようとした現場を押えられましたものでしたから、ついに強情娘も口を割ってしまいました。
「――まことに恐れ入りました。おめがねどおり、親方を殺した下手人は、いかにも、この梅丸でござります。と申しあげただけではさぞかしご不審でござりましょうが、実のところを申しますると、それもこれもみんな女のあさましいねたみからでござりました。もともとを申しますれば、わたしのほうがずっとまえから、この娘一座では姉分でもござりましたし、いくらかよけい人気もいただいておりましたのに、あの桜丸様がわたくし同様、竹棒渡りをいたしますようになりましてから、日に日に人気負けがいたしましたゆえ、そのことを親方さまに申しあげて、あすから役替えしていただくようにお願い申しましたところ、いっこうお聞き入れくださりませなんだゆえ、ついいさかいしているうちに、逆上いたしまして、ちょうど目の前に親方さまの匕首《あいくち》があったのをさいわい、あやめるともなくあやめてしまいましたのでござります」
「よし、わかった、わかった。それから先は、おれがいちいちずぼしをさしてやろうか。そのとき親方が、おめえの衣装のすそを苦しまぎれに食い切ったところへ、物音をきいて桜丸がやって来そうだったゆえ、おまえが灯《ひ》を吹っ消したんだろうがな」
「はい、おっしゃるとおりでござります。それゆえ、わたしが――」
「いや、言わいでもわかっているよ、わかっているよ。それゆえ、おまえがどこかへやのすみにでもうずくまって隠れているところへ、桜丸が知らずに駆け込んだので、親方がおまえと思いつめて、断末魔の前に桜丸のそでを食いちぎったんじゃねえのかい」
「はい。ですから、これさいわいと存じまして、騒ぎに紛れこっそりとへやを抜け出しまして、鶴丈さんの百面相をまんまと使い、桜丸様を罪におとしいれようとしたのでござりましたが、やっぱり……」
「ほんもののむっつり右門ほどには、化けきれなかったという
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