いかないものとみえまして、せっかく捕物三人|侠者《きょうしゃ》のおぜんだてが、かくのごとくに申しぶんなく整ったというのに、なんともままにならぬことは、どうしたものか肝心の事件のほうがいっこうにその以後持ち上がってこないことでした。それも五日や十日ならよろしいんですが、善光寺辰が一枚わき役に加わると同時で、ほとんど半月以上もまるで事件の訴えが来なかったものでしたから、いつまでたっても伝六はあいかわらずの伝六とみえまして、たちまちあいきょう者らしい音をあげてしまいました。
「ちくしょうめッ、石川|五右衛門《ごえもん》もとんだ二枚舌を使うじゃござんせんか。浜の真砂子《まさご》がどうとやらと、おつに大時代なせりふをぬかしゃがったが、このぶんじゃ悪党の種がつきてしまったかもしれませんぜ」
しきりに五右衛門を罵倒《ばとう》していましたが、しかし、こればっかりは事件のほうで起きてこないかぎり、いかなおしゃべり屋の伝六がしゃちほこ立ちをしたとて、どうにもならないことでしたから、じれじれして待っていると、月を越して四月にはいるやまもなくのことです。突如として、右門畑の怪事件が、不思議な形をとって勃発《ぼっぱつ》いたしました。
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正確に申しますとちょうど八日の日でしたが、この日は改まって申すまでもなく、釈尊がインド迦毘羅国《かびらこく》の迦毘羅城にご生誕なさった甘茶仏の当日なので、事件は伝六がしびれをきらしているようになかなか降ってきそうもないし、さいわいご奉行所は非番でしたから、主従三人お昼すぎから増上寺のお花|御堂《みどう》の灌仏会《かんぶつえ》に出かけて、ついでのことにおなかへも供養にと、目黒の名物たけのこめしへ回り、なかよく連れだってぶらりぶらり八丁堀《はっちょうぼり》のお組屋敷へ帰りついたのが、かれこれもう夜も二更《にこう》に近い五ツ下がり刻限でした。
と――三人が久しぶりでの遠出にぐったりとなって、そこの座敷へすわるかすわらないかに、咄《とつ》! なんという不敵なやつもあればあるものでしょう――あけ放たれた縁側伝いの暗い庭先から、不意にヒュウとうなりを発しながら一本の手裏剣が飛んできたかと見えましたが、せつなに体をかわした右門の右ほおをあやうくかすめて、プツリうしろのふすまに突きささりました。
「よッ。人を食ったまねをしやがったなッ」
相手もあろうに
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