はひとつ、どこかへ物見|遊山《ゆさん》にでも行こうかな。二、三日ゆっくり休養しろとおっしゃったそうだから、久方ぶりに浅草の見せ物小屋でものぞきに行こうじゃねえか」
「いやですよ!」
「ほう、えらいけんまくだな。では、しかたがねえや。ひとりで出かけようぜ」
 伝六の雲行きがすばらしく険悪でしたので、右門は笑いわらい濠《ほり》ばたのほうへ曲がっていくと、そこに帳場を張っているご番所の町駕籠をあごでしゃくりながら、ゆったりうち乗りました。
 とみて、すねはすねたが、やっぱり伝六はかわいいやつで――
「行きますよ! 行きますよ! あっしのかんしゃくは親のせいなんだから、いまさらひとりぼっちにしなくったっていいじゃござんせんか! ――おうい、駕籠屋! 駕籠屋!」
 べそをかかんばかりに駆け寄りながら、あわてて駕籠を仕立てましたので、右門はくすくす笑いながら、絹雨にけむりたつ枝柳の濠ばたを、ずっと浅草めがけて走らせました。
 だが、いったように浅草へ行くには行ったが、その駕籠を乗りつけさせたところは不思議です。例の苦み走った折り紙つきの男まえに、それも前夜|月代《さかやき》をあたらしたばかりなんだから、いっそう水々しくさえまさってみえる男まえに、おなじみの蝋色鞘《ろいろざや》をおとし差しで、
「許せよ」
 おうようにいいながら、そこの支倉屋《はぜくらや》と書かれた絵双紙屋の店先へずかずかとはいっていったようでしたが、店の奥にこごまっている主人らしい男をみかけると、とつぜん妙な品を尋ねました。
「江戸の絵図面を板《はん》におこして、売りさばいている店は、たしかにそのほうのところだったと存じて参ったが、違うかな」
「いいえ、てまえのところでございます。こればっかりはお許しがないと売り出せぬ品でございますゆえ、てまえの店の一枚看板にしておりますが、ご入用でございますか」
「さよう、あったら一枚売ってくれぬか」
 買いとってだいじそうに懐中すると、見せ物小屋のほうへ行くかと思うとそうではないので、待たしておいた駕籠をうたせながら、ずっと帰ってきたところは八丁堀《はっちょうぼり》の組屋敷です。それも帰ってくると、いまさら江戸の地図なぞを調べて、なんのたしになるかと思われるのに、あちらへこちらへと何本も赤い線を引きつつ、しきりにながめ入っていたものでしたから、またお株を始めたのは伝六でした。
「ちぇッ、がみがみいうまいと思っても、これじゃかんしゃくの起きるのがあたりまえじゃござんせんか。だましたり、すかしたり、うれしがらしたり、かついだり、さんざにおいだけをかがしておいて、奥山の見せ物小屋はいったいどこへひっこしたというんですか! ぽッと出のいなか与力じゃあるめえし、ちゃきちゃきの江戸のだんなが、いまさらおひざもとの絵図面に見とれるがところはねえじゃござんせんか。そうでなくとも、あば芋のやつにしてやられて腹がたっているのに、あんまり人をおなぶりなさると、今度こそは本気にすねますぜ!」
 しかし、右門は馬耳東風と聞き流しながら、しきりと丹念に町から町へ朱線を入れていましたが、と――、不意に莞爾《かんじ》と笑《え》みをみせると、気味のわるいことをぽつりといいました。
「な、おい、伝六大将! 今夜は指切り幽霊、日本橋の本石町と神田の黒門町へ出没するぜ」
「えッ。不意に御嶽《おんたけ》さまでも乗りうつったようなことをいいますが、支倉屋で売る絵図面の中には、そんなことまでが書いてあるんですかい」
「おれの目にゃそう書いてあるように見えるんだから、目玉一つでも安物は生みつけてもらいたくねえじゃねえか。まず、この絵図面のおれがいま引いた赤い線をたどってみろよ。てめえもさっき聞いたろうが、訴えてきたホシの野郎は、たしか、同一人といったろう。にもかかわらず、小石川の台町と浅草の厩河岸みたいな飛び離れたところへ、よくも町方の者に見とがめられねえで、二カ所もつづけて押し込みやがったなと思ったんで、不審に思って地図を調べてみたら、な、ほら、この赤い線をとっくりたどってみねえな。台町から厩橋へ行く道筋のうちにゃ、番太小屋も自身番も一つもねえぜ」
「いかさまね。おそろしい眼力だな。じゃ、なんでしょうかね、ホシの野郎はよっぽど江戸の地勢に明るいやつだろうかね」
「しかり。だから、今夜はきっと本石町と黒門町へ出没するにちげえねえよ。この二つの町をつなぐ道筋が、やっぱりゆうべ出没した町筋と同じように、一カ所だって番太小屋も自身番も見当たらねえんだからな」
「なるほどね。するてえと、野郎ちゃんとそれを心得ていて、恐れ多いまねをしやあがるんだね」
「あたりめえさ。どんな姿の野郎だか知らねえが、人が寝床へはいっているような寝しずまった夜ふけに、のそのそそこらを歩いていりゃ、どっかで番太小屋か自身番の寝ずの番に、ひっかからねえってはずあねえんだからな。野郎め、そいつを恐れやがって、番所のねえ町をたどりながら押し込みやがるんだよ」
「するてえと、敬公の野郎、そいつを気がついているでしょうかね」
「と申してあげたいが、あの下司《げす》の知恵じゃ、まず知るめえな。おおかた、今ごろは、まんまとおれに手を引かすることができたんで、のぼせかえりながら、せっせと被害者の身がらでも洗っているだろうよ」
「ちくしょう、くやしいな。お奉行さまもまたお奉行さまじゃござんせんか。なんだって、あんな野郎にお任せなすったんでしょうね。もし、今夜もだんなのおっしゃるように、指を盗まれる者があるとするなら、災難に会う者こそきのどくじゃござんせんか」
「だから、おれもさっきから、ちっとそれを悲しく思っているんだよ。おまえはおれのお番所へ行きようがおそかったんで、がみがみどなったようだが、断じておれのおそかったせいじゃねえよ。あばたの大将がことづてを横取りしやがったのが第一にいけねえんだ。第二には、身のほども知らずに、お奉行さまへ食いさがって、おれをのけ者にしたことがいけねえんだ。お奉行さまからいや、それほどあばたの敬公が意気込んでいるのに、おまえでは役にたたぬ、ぜひにも右門にさせろとやつの顔をつぶすようなことはできねえんだからな。それに、敬公といやなにしろ同心の上席で、ちったあ腕のきく仲間として待遇されてもいるんだからな。潔く手を引いていろとご命令があった以上は、それに服するよりしかたがねえさ」
 いうと、黙念としながら腕をくんで、ややしばしうち沈んでいたようでしたが、ふと見ると、右門のまなこの奥に、かすかなしずくの宿されているのが見えましたものでしたから、気早な伝六にはそれがくやし涙と思われたのでしょう。
「お察しします……お察しします。さぞおくやしいでござんしょうが、それもこれもみんなあばたの畜生がいけねえんだから、あんなげじげじ虫ゃ人間の数にへえれねえやつだと思って、おこらえなすってくだせえまし……おこらえなすってくだせえまし……」
 あわてて目がしらを手の甲でぬぐい去ると、くやしそうに歯ぎしりをかみました。伝六としてはまたそう解釈されたのも無理のないことでしたが、しかし名人右門のしずくを見せたのは、そんなせまいくやしさや、そんな狭い了見からではないので、苦痛げに声をくもらせると、しんみりとうち沈んでいいました。
「違うよ、違うよ、おめえの勘違いだよ。おれゃお奉行さまのしうちが恨めしかったり、あばたの敬公が憎かったりして、めめしい泣き顔なんぞするんじゃねえんだよ。敬公に任せろとのご命令ならばすなおに任せもするが、そのためにまた今夜も黒門町と本石町とで、たいせつな指を切りとられるかたがたがあるだろうと思うと、そのかたたちが、きのどくでならねえんだよ。おれが手がけていたらそんなことはさせまいものに、つまらねえ同僚のねたみ根性に犠牲となって、会わなくもいい災難にお会いなさるかたたちのことを思うと、おれゃきのどくで涙が出るよ」
 しみじみとつぶやくと、真実難に会う人たちがきのどくでならないといったように、うるんだ目を伏せました。まことに、聞くだに感激しないではおかれぬ心の清さというべきですが、しかしそのまに不快な一夜は明けて、からりと晴れた朝が参りました。

     3

 と――、果然、その翌朝の、それもまだ五ツ少し下がったばかりのころです。命令もないのに、伝六が気をきかしてお番所へ様子探りに駆け走っていったようでしたが、ふうふう息を切りながらもどってくると、わめくようにいいました。
「ね、だんな! さ、啖呵《たんか》ですよ! 啖呵ですよ! いつものように、胸のすっきりするやつをきっておくんなせえよ。お奉行さまからご命令が下りましたぜ。やっぱり、右門でなくちゃだめだとおっしゃいましたぜ」
「えッ、じゃ、おれのいったところへ、ゆうべ出やあがったか」
「出やあがったどころの段じゃねえんですよ。おっしゃったとおり、黒門町と本石町と両方へ現われやがってね。それも、本石町のほうは、ふたりもまたゆうべと同じように左手の人さし指と親指を切られたというんですよ」
「そうか。だから、いわねえこっちゃねえんだ。それで、敬公はどうしたい。どんな顔をしていやがったい」
「そいつがほんとうにあきれるんですよ。身のほども知らねえまねをしやがったんで、こういうのをばちが当たったというんでしょうがね。野郎め、ゆうべ日本橋で、さらわれちまったというんですぜ」
「えッ、じゃ、行くえ知れずになったのか」
「そうなんですよ。そうなんですよ。なんでも、ゆうべまだ宵《よい》のうちだったそうですがね、野郎め、ただのつじ切りでも押えるような了見でいたんでしょう。手下を三人つれて日本橋の橋たもとまでやっていったらね、いきなりぽかぽかとおかしなやつに当て身を食わされて、ぐうと長くなってしまったところを、そのままどっかへさらわれていっちまったというんですよ」
「じゃ、手下もいっしょにさらわれたのか」
「いいえ、それならまだいいんですが、三人ともに、野郎どもめ、目の前で親分ののされちまうのをちゃんとながめていながら、手出しひとつできなかったっていうんですよ」
「うすみっともねえ野郎どもだな。じゃ、けさになるまで、手下たちぁ敬公のさらわれちまったことを、ひたかくしに隠していたんだな」
「ええ、そうなんですよ、そうなんですよ。うっかりしゃべっておこられちゃたいへんだと思って、隠していたというんですがね。だから、今あっしも野郎たちにさんざん啖呵《たんか》をきってやったんですよ。ろくでもねえ親分が、平生ろくでもねえお仕込みをしやがるから、いざというとき、こんなぶざまなことしなきゃならねえんだってね、うんとこきおろしてやったんですよ」
「そうか。じゃ、お奉行さまはすぐとおれに出馬しろとおっしゃったんだな」
「おっしゃった段じゃねえんですよ。手数のかかることをしでかして、さぞかし腹がたつだろうが、お公儀の面目のために、早く敬四郎を救い出してやってくれと、あっしにまでもお頼みなすったんですよ」
「そうか、人のしりぬぐいをするなちっと役不足だが、お公儀の面目とあるなら、お出ましになってやろうよ。では、そろそろ出かけるかな」
「じゃ、駕籠《かご》ですね」
「いいや、いらねえよ」
「だって、敬公、急がねえとゴネってしまうかもしれませんぜ」
「おれがこうとにらんでのさしずじゃねえか。命までもとるんだったら、ゆうべ日本橋で出会ったときに、もう殺されていらあ。わざわざ手数をかけてさらっていったところを見ると、どっか穴倉にでもほうり込まれているにちげえねえよ。でも、おめえは少し遠道しなくちゃならねえからな、一丁だけ駕籠を雇って、すぐ黒門町のほうを洗ってきなよ。おれあ、本石町のほうで待っているからな。ぬからずに洗っておいでよ」
 命じておくと、ひと足先に伝六を駕籠で送り出しておきながら、右門は結城袷《ゆうきあわせ》の渋好みづくりに、細身の蝋色鞘《ろいろざや》をおとし差しにして、ゆうぜんと本石町へやって参りました。
 二軒も騒がしたうえに、あまつさえ盗み取られたものが変わった品でしたから、本
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