右門捕物帖
足のある幽霊
佐々木味津三
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)捕物《とりもの》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)物見|遊山《ゆさん》
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1
――今回は第十三番てがらです。
それがまた妙なもので、あとを引くと申しますのか、それともこういうのがまえの世からの約束ごととでも申しますのか、この十三番てがらにおいて、ひきつづき、またまたあのあばたの敬四郎がおちょっかいを出して、がらにもなく右門とさや当てをすることになりましたから、まことに捕物《とりもの》名人としては、こうるさい同僚をかたき役に持ったというべきですが、事の端を発しましたのは、二月もずっと押しつまって、二十八日の朝でした。
しばしば申しますとおり、二月は二月であっても旧暦の二月なんだから、もう少しはぽかぽかしてもいっこうに不思議はないはずですが、それにしてもちょっと狂い陽気で、おまけに朝からしとしとと、絹糸のような小ぬか雨です。いきにいえば、忍び音の糸もみだるる春の雨――というあの雨なのですが、あいきょう者の伝六は来ず、たずねていくべき四畳半はなし、せっかくいきな春雨が降るのに、寝ころがってあごばかりまさぐっていても芸のない話だと思いつきましたものでしたから、ふと右門の気がついたところは、このごろ席を始めたという向こう横町の碁会席でありました。
さいわいご番所は非番でしたので、まだちっと時刻が早すぎるとは思いましたが、久方ぶりにしみじみと碁でも打ちながら、いきな春雨に聞きほれるのも時にとっての風流と思いましたものでしたから、じゃのめを片手になにげなく表へ出ると、ところがその出会いがしらに往来ばたに、何がけげんでならないものか、しきりと首をひねりながらたたずんでいた者は、だれでもないあいきょう者のその伝六でした。根が伝六のことだから、そのひねり方というものがまた並みたいていではないので、傘《かさ》もささずに絹雨を頭からしょぼしょぼと浴びながら、しきりと町の向こうをながめながめ、右へ左へいとも必死にひねりつづけていたものでしたから、ちょっと右門も不審に思って呼びかけました。
「大将ッ。おい、伝六大将ッ」
「えッ?」
「そっちじゃねえ、うしろだよ、うしろだよ。おれじゃねえか、おれがわからねえのか」
「あッ、だんなでござんしたか! いいところへおいでなさいました。ちっと、どうも不思議なことがあるんですがね」
「なんでえ。からかさ小僧でも通ったのか」
「ちぇッ、あっしがまじめな口をきくと、いちいちそれだからな。ね! 今、あばたのやつこが通ったんですよ」
「なにも不思議はねえじゃねえか。あいつにだって足は二本くっついてるぜ」
「きまってまさあ。その二本の足で、いやに目色を変えながら、走っていきゃあがったから、いっしょうけんめいで頭をひねっているんですよ」
「というと、なにかい、いくらか事件《あな》のにおいでもするというのかい」
「する段じゃねえ、ひょっとすると、何かでか物じゃねえかと思うんですがね。だって、あのやつこもきょうは非番のはずでがしょう。しかるにもかかわらず、今あっしがここまで来たらね、ご番所のほうからあばたの野郎の手下が、ふうふういいながら駆けてきやがったから、はてなと思ってここのところに隠れているてえと、手下め、あばたのやつを連れ出して、またあっちへ目の色変えながら走っていったんですよ」
「いかにもな。ちっとくせえかな」
相手が余人ならばおそらく歯牙《しが》にもかけなかったことでしょうが、どうかして一度抜けがけの功名をしてやろうやろうと、栃眼《とちまなこ》になっている敬四郎でしたから、右門はちょっと気にかけながらたたずんでいると、突然向こうから、おうい、おういという呼び声でした。どうやら、そのおういが、自分たちふたりへ呼びかけているようでしたから、ふた足み足近づいて待ち迎えながら顔を見定めると、だれでもないご番所の小者です。それも普通の小者ではなく、何か事件が突発したとき、非番の者をそうして呼び出しに駆け歩く小者であることがわかりましたものでしたから、さては伝六、きょうばかりはホシを当てたかなと思って、用向きを待っていると、小者は駆け寄りながら、やにわと口をとがらして右門をきめつけました。
「さっきおことづてをしてあげましたのに、なぜご出仕なさらないんでございますか!」
「おれのことかい」
「そうですよ、ほんのいましがた、たしかにおことづてをしたんですが、お聞きにならなかったんでございますか」
「知らねえよ、だれも使いなんか来やしなかったぜ」
「えッ、行かなかったんですか! どうしたんだろうな。あんなにくどく、念を押しましたのにな」
おどろきながら小者が、不審にたえないといったように首をかしげましたものでしたから、早くもその烱眼《けいがん》のピカピカとさえたものは名人右門です。伝六はまだぽかんとしながら目をきょときょとさせていましたが、名人の頭には、いっさいのからくりが察せられましたので、微笑しながら尋ねました。
「わかったよ、わかったよ。おめえがあんまり人を信じすぎたので、ことづてが途中で消えたのだ。おそらく、頼んだ相手というのは、あばたの敬公の手下じゃねえのかい」
「ええ、そうですよ。そうなんですよ。お奉行《ぶぎょう》さまがすぐにあなたを呼んでまいれとおっしゃいましたのでね、駆けだそうとしたら、門のところに敬だんなのお手下がおいでなさって、ことづてならばおれんが今お組屋敷へ帰るところだから、ついでに伝えてやろうといいましたんで、ついうっかりとお頼みしたんですよ」
「よし、わかった、わかった。おめえが悪いんじゃねえ、人の仏心を裏切るやつが悪いんだよ。あばたがあばたなら、手下も手下だが、それでご用向きはどんなことかい。お奉行さまからのお呼び出しというと、尋常一様のあなじゃなさそうだが、おれでなくちゃとでもおっしゃっていられるのかい」
「そうなんですよ、そうなんですよ。こりゃ右門でなくちゃ手に負えまいとおっしゃいましたのでね。すぐにまたこうしてお呼びに参ったんですが、ゆうべ二ところへおかしな押し込みがはいりましてね、変なものを盗み取られたという訴えがあったんですよ」
「なんだ、押し込みどろぼうか。そんなものなら、なにもおれがわざわざ出るにも当たらねえじゃねえか」
「いいえ、それがただの豆どろぼうや、小ぬすっとじゃねえんですよ。一カ所は小石川の台町、一カ所は方面違いの厩河岸《うまやがし》ぎわですがね、その飛び離れたところへ、半刻《はんとき》と違わねえのに同一人らしいおかしな野郎が押し込みゃがってね、両方ともそこの主人の手の指を二本ずつ切り取っていったというんですよ」
「なに、手の指? なるほど、からだについている品をとられたとすると、品物がちっと変わっているな。じゃ、なにかい、ふたりともぐっすり寝ついているときにでも、知らずに切りとられたというのかい」
「いいえ、床にこそはついていたが、はいってきたのをちゃんと知っていながら、相手の野郎がとても怪力なんで、どうもこうもしようのねえうちに、そろいもそろってふたりとも、左手の親指と人差し指を二本切りとられちまったというんだから、ちっとばかりおかしいじゃござんせんか。それも、厩河岸《うまやがし》のほうは町人だから、相手の怪力に手も足も出なかったとて不思議もありますまいが、小石川の台町のほうは一刀流だかをよく使うりっぱな若侍だっていうんだからね。こいつああっしだっても、どうしたって、だんなの畑だと思うんですがね」
「なるほどな。じゃ、なんだな、相手の野郎は大入道みたいなやつででもあったというんだな」
「ところが大違いですよ。みたところ五尺とねえ小男でね、そのうえ女みたいな優男だったというんだから、ご番所のみなさまがたもその怪力っていうのが不思議だ不思議だとご評定しなさっていらっしゃるんですがね」
「いかさまな。そうするてえと、おれもちっとてつだうかな」
物静かにいいながら、ではまた、そろそろはなばなしいところをお目にかけるかな、というようにゆうぜんとあごをなでだしたものでしたから、すっかり有頂天になってしまったものは伝六です。
「ちぇッ、ありがてえ。筋書きがこうおいでなさらなくちゃ、せっかくおれさまが雨にぬれながらここでつっ立っていたかいがねえんだ。じゃ、また駕籠《かご》ですね」
言いざま、もう早がてんをして、しりはしょりをやりだしましたものでしたから、右門が笑いわらい呼びとめました。
「駕籠なんぞ遠くもねえのに、いらねえよ。いらねえよ。春雨に降られていくのもおつだから、そろそろおひろいで行こうじゃねえか」
「だって、あばたの野郎が、あのとおりことづてを横取りしたとわかりゃ、捨てておけねえじゃござんせんか」
「忘れっぽいやつだな。いったい、おめえは何度おれにその啖呵《たんか》をきらせるんだい」
「どの啖呵ですい」
「わからねえのか。だてや酔狂でおれあご番所のおまんまをいただいているんじゃねえんだよ。はばかりながら、あばたの敬公なんかとは、ちっとできが違わあ」
「だって、あば芋のだんなも、今度しくじりゃ五へんめだから、ただじゃしっぽを巻きませんぜ」
「うるせえな。口があいていると、しゃべってしようがねえから、あめチョコでも買ってしゃぶっていなよ」
しかりすてると、伝六がやきもきするのもまんざら無理はあるまいと思われるのに、右門はいたって悠揚《ゆうよう》と春雨の優雅を愛しながら、ご番所のほうへ歩を運ばせてまいりました。
2
ところが、ご番所へ行ってみると、果然伝六の言が的中いたしました。今度失敗すれば五へんめであり、かたがた相手はあばたの敬四郎という破廉恥漢なんだから、いかなむっつり右門でも、もう少し警戒したほうがよさそうにと思われたのに、少しおちついていすぎたものか、敬四郎の魔の手がすでに伸びていたあとでした。
それも、根が敬四郎のことだから、普通の魔の手ではないので、右門のはいっていった姿を見ると、それに居合わした同僚のひとりが、きのどくそうにいいました。
「せっかくじゃが、ひと足おそうござったな。お奉行《ぶぎょう》さまがだいぶそなたをお待ちかねの様子じゃったが、お越しがなかったから敬四郎どのにご命令が下りましたぞ。もっとも、ああいうかただから、しきりと敬四郎どののほうからお頼みしていた様子じゃったがな」
「ではもう、てまえが手を下さなくともよろしいとのご諚《じょう》でござりまするな」
「そのような仰せでござりましたよ。敬四郎だけではちっと心もとないが、それほど本人が頼むなら、任してみるのもよろしかろうから、右門が参ったならば、いさぎよく手を引くよう申して、二、三日ゆっくり休養いたせと、このような仰せでござりましたよ」
うまくことづてを横取りしたのをさいわい、お奉行職へ陰険な自薦運動を試みて、あきらかに右門の出馬を阻止した形跡が歴然としていましたものでしたから、さっそく鼻を高くしてがみがみときめつけだしたものは、いわずとしれた伝六でした。
「そら、ご覧なせえましな! 相手が人間の皮をかぶったやつならいいが、どぶねずみみたいなけだものだから、あんなにさっきせきたてたのに、雨がおつだの、柳がどうのと、隠居じみた寝言に夢中でいなすったから、こういうことになるんですよ。あっしゃもう知りませんぜ」
水の出ばなの美丈夫右門を、とうとう隠居にこきおろしてしまって、しきりと口をとがらしていましたが、しかし右門は静かに微笑したきりでした。そこの訴状箱をかきまわしながら、指を切りとられたという訴えの、小石川台町と厩河岸の所番地を書き取って、そっとそれを懐中しながら、何かうそうそと皮肉そうに笑っていましたが、表へ出るとぽつり伝六にいいました。
「で
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