台町と厩河岸《うまやがし》へまでも回って調べ、本石町での陳述と同様、やっぱり下手人は右三個所を襲ったときにも、たしかに松やにのしみついた水びたしの着物を着用していたという共通な事実をかぎ出してまいりましたものでしたから、聞くやそろそろ始められだしたものは、名人特有の右門流です。なにかにやにやと笑いながら、しきりにあごをなでさすっていたようでしたが、不意と伝六にいいました。
「きさま、深川筋で、どこか舟宿を知っていねえか」
「えッ? 舟宿というていと、よく女の子をこっそりつれて、舟遊山《ふなゆさん》をやりに行くあの舟宿のことですかい」
「ああ、そうだよ」
「ちぇッ、そんなものなら、おめえ知っているかはすさまじいね。はばかりながら、こうみえてもいきな江戸っ子ですよ。舟宿の二軒や三軒知らねえでどうなるもんですかい。深川ならば軒並み親類も同様でさあ。まず第一は菱形屋《ひしがたや》でしょ。この家の持ち舟は屋台が三艘《さんぞう》。つづいて評判なのは一奴《いちやっこ》。それから海月、丁字屋、舟吉《ふなよし》とね、まず以上五軒が一流ですよ」
「ほほう、だいぶ博学だが、遊んだことでもあるのかい」
「とこ
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