きのけるようにしながら駆けぬけると、案の定もう功を争いだしたものでしたから、おこぜのごとくカンカンになってしまったものは義憤児伝六でありました。
「それ、ご覧なせえまし、いううちに、もうじゃまだてを始めたんじゃござんせんか。だんなもあの江戸錦を洗ってみるお考えだったんでがしょう」
「そうだよ」
「なら、だんなのほうがひと足はええんだから、こっちへ玉をさらったらどうですか」
「まあそう鳴るなよ、鳴るなよ。おれの知恵は、いつだって出どころが違うじゃねえか。ほしいものならやっときな――」
 それを右門はあくまでもすがすがしい大腹で、微笑を含みながら見ながめていましたが、そのときはからずも、いま出どころが違うといった右門のその明知の鏡にちらりと映じ写ったものは、そこのしたくべやの明け荷の前に、腕組みをしている一人の勧進元《かんじんもと》らしい年寄りでありました。青ざめ顔でしんねりむっつりと腕を組んでいる様子が、やはり今の珍相撲の一番に頭を悩ましてでもいるらしく思われましたので、右門は目ざとくもそれを認めると、あばたの敬四郎たち一党に気づかれないようにというつもりから、腰にしていた白扇をそっと抜きとって、こっそりそのほうへ投げつけました。年寄りはおどろいたように面をあげたので、右門は目まぜでいざないながら、棧敷《さじき》のすみの目だたないところへ連れていくと、さっそくに尋問を開始いたしました。
「思うに、そちの思案していることも、今のあの奇怪至極な勝負に胸を痛めてのことじゃろうと察するが、どうじゃ、違ったか」
「へえい……」
「ではわからぬ。どうじゃ、違ったか」
「いいえ、おめがねどおりでござんす」
「するとなんじゃな、やっぱりあの一番は、わしのにらんだとおり八百長ではなかったのじゃな」
「ええ、もう八百長どころか、どうしてあんな遺恨相撲になったかと、いっしょうけんめいそれを思案していたのでごんす」
「ほほうのう。やっぱり、遺恨相撲じゃったか。わしもちらりとあの秀の浦とやらいう西方相撲の仕切りぐあいを見たとき、あやつの目のうちにただならぬ殺気が見えたゆえ、どうもおかしいなと思うていたのじゃが、ではなんじゃな。そちの口裏から推しはかってみるに、今までふたりは遺恨なぞ含むようなかかり合いはなかったというのじゃな」
「ええ、もう遺恨どころか、もともとあの野郎どもは相べやで、そのうえ相|弟子《でし》どうしの評判な仲よしだったんでござんすのに、さっきの仕切りぐあいを見ると、だんなもお気づきでござんしたろうが、秀の浦めがどうしたことか、封じ手の鉄砲をかませようとしたんでござんすよ」
「ほほう、西方相撲のあのときの妙な手つきは、あれが鉄砲というのか」
「ええ、そうでごんす。それも、あの野郎の鉄砲とくると、がらはちまちまっとしていてちっせえが、わっちたち仲間でもおじ毛立つくれえな命取りでごんしてな。あの野郎からその鉄砲をくらって、今まで三人も土俵で命をとられたやつがあるんで、爾後《じご》いっさい使ってならぬときびしく親方が封じ手にしておいたんでごんすが、バカにつける薬はねえとみえて、将軍さまのご面前だというのに、野郎めがその封じ手の鉄砲をかませようとしたものだから、さすが江戸錦や、さきざき大物になるだろうと評判されているだけがものはあって、命取りの鉄砲に会っちゃかなわねえと早くも気がついたものか、あんなふうに殿さまがたからおしかりをうけるようなことになっちまったんでござんすよ」
 果然、右門のいぶかしとにらんだとおり、表面ただの珍奇と見えたあれなる結び相撲のかくれた裏面のうちには、容易ならぬ封じ手の命までをもねらおうとした遺恨が含まれていたとはっきりわかったものでしたから、もう事がここまであばかれてまいりますれば、いよいよこの先はわれらの捕物名人の独擅場《どくせんじょう》となるべきはずでありました。
 そこで、従来の右門ならば、つねにかれの好んで用いるからめて攻めの吟味方法によって、まず第一に江戸錦その者を洗いたて、いかなる原因によってそれなる相手がたの秀の浦から、関取りたちもおじ毛立つと称されている命取りの鉄砲をかまされようとまでされるにいたったか、それを詮索《せんさく》し推断するのが事の順序でしたが、しかしこしゃくなことには、あばたの敬四郎がすでにもう江戸錦を独占していましたので、ここにおいて右門の選ばねばならぬ進路は、勢い直接に秀の浦その者に当たらなければならなくなりました。右門としてはあまり好ましくない大手攻めの吟味方法でしたが、今となっては事情やむをえないことでしたから、伝六に目くばせすると、うち連れだって、ただちに西方相撲連のしたくべやにはせ向かいました。
 雨となるか、あらしとなるか、いかなる遺恨子細によってかかる封じ手を用いようとするに
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