すさまじいくらいで――
「な、九重さま。あなた、わたしのひいき相撲《ずもう》に、断わりなしでご声援なさいましたら、そのままではほっておきませぬぞ!」
「汐路《しおじ》さまこそ口はばったいことをおっしゃりますな! 江戸錦はわたしのひいき相撲にござりますゆえ、めったなことを申しますると、晩にお灸《きゅう》をすえてしんぜましょうぞ」
といったようなぐあいで、いずれもまだ江戸錦その者にはお目にかかったことがないくせに、もう寄るとさわるとたいへんな評判でありました。
しかし、そこへいくと、さすがに将軍さまはお大腹で、江戸八百万石三百諸侯旗本八万騎のご統領だけがものはございます。江戸錦が染め物の名やら、秀の浦が干菓子の名やら、いっこうお気にも止めないで、余は暇つぶしにさえなればよいぞ、といったような、いたってのご沈着ぶりを示しながら、定めのとおり九ツのお城太鼓が打ち出されますと、右に御台《みだい》、左にご簾中《れんちゅう》を従えさせまして、吹上|御苑《ぎょえん》に臨時しつらえましたお土俵の正面お席にお着座なさいました。ひきつづいて現われましたものは、おなじみ松平|伊豆守《いずのかみ》を筆頭に、いずれも今、世にときめいている閣老諸公たちです。それから、加賀百万石を禄高《ろくだか》がしらの三百諸侯、つづいて美姫《びき》千名と注された、いずれ劣らぬ美形たちのお局、腰元、お女中の一群でありました。これがまた自然そうなったものか、美男相撲の江戸錦が結びを張っている東方に着座したので、その反対の秀の浦がいる西方はまた、いつのまにそうなったものか、大久保彦左衛門以来とかくに大名連と仲のよろしくない旗本八万騎の連中でありました。しかも、当時は旗本どもがいちばんはばをきかした時代で、おなじみのがまん会なぞというものをこしらえ、寒中にかたびら一枚で扇子を使ってみたり、暑中にこそでを重ねてあつものをすすってみたり、まぐべからざるところにつむじを曲げて、じゅうぶんまっすぐに通ったら通れる世の中を、意地にも横にはっていこうというような、変にいこじの強い連中が全盛をきわめていた時代でしたから、もちろん八万人は誇張ですが、これが三十人五十人集まると、不思議とそこに妙な空気がかもされだすものとみえまして、べつに東方が憎いという理由はないはずなのに、だんだん取り組みが結び相撲の江戸錦秀の浦の一番に近づいてく
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