相|弟子《でし》どうしの評判な仲よしだったんでござんすのに、さっきの仕切りぐあいを見ると、だんなもお気づきでござんしたろうが、秀の浦めがどうしたことか、封じ手の鉄砲をかませようとしたんでござんすよ」
「ほほう、西方相撲のあのときの妙な手つきは、あれが鉄砲というのか」
「ええ、そうでごんす。それも、あの野郎の鉄砲とくると、がらはちまちまっとしていてちっせえが、わっちたち仲間でもおじ毛立つくれえな命取りでごんしてな。あの野郎からその鉄砲をくらって、今まで三人も土俵で命をとられたやつがあるんで、爾後《じご》いっさい使ってならぬときびしく親方が封じ手にしておいたんでごんすが、バカにつける薬はねえとみえて、将軍さまのご面前だというのに、野郎めがその封じ手の鉄砲をかませようとしたものだから、さすが江戸錦や、さきざき大物になるだろうと評判されているだけがものはあって、命取りの鉄砲に会っちゃかなわねえと早くも気がついたものか、あんなふうに殿さまがたからおしかりをうけるようなことになっちまったんでござんすよ」
果然、右門のいぶかしとにらんだとおり、表面ただの珍奇と見えたあれなる結び相撲のかくれた裏面のうちには、容易ならぬ封じ手の命までをもねらおうとした遺恨が含まれていたとはっきりわかったものでしたから、もう事がここまであばかれてまいりますれば、いよいよこの先はわれらの捕物名人の独擅場《どくせんじょう》となるべきはずでありました。
そこで、従来の右門ならば、つねにかれの好んで用いるからめて攻めの吟味方法によって、まず第一に江戸錦その者を洗いたて、いかなる原因によってそれなる相手がたの秀の浦から、関取りたちもおじ毛立つと称されている命取りの鉄砲をかまされようとまでされるにいたったか、それを詮索《せんさく》し推断するのが事の順序でしたが、しかしこしゃくなことには、あばたの敬四郎がすでにもう江戸錦を独占していましたので、ここにおいて右門の選ばねばならぬ進路は、勢い直接に秀の浦その者に当たらなければならなくなりました。右門としてはあまり好ましくない大手攻めの吟味方法でしたが、今となっては事情やむをえないことでしたから、伝六に目くばせすると、うち連れだって、ただちに西方相撲連のしたくべやにはせ向かいました。
雨となるか、あらしとなるか、いかなる遺恨子細によってかかる封じ手を用いようとするに
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