借りてきてはめときな」
「じゃ、ご番所へしょっぴいていくんじゃねえんですかい」
「鳶頭といや、とにもかくにも人の上に立つ人間だ。盗みの罪状は罪状にちげえねえが、これほどの分別ざかりな人間がやるからにゃ、なんぞ子細があるだろうからな。それに、お年寄りがこの寒空に火の種一つねえご牢屋《ろうや》住まいも身にこたえることだろうから、なるべくいたわってやんな」
「わかりやした。――みろッ、そこら辺のまごまごしているわけえ者、おらのだんなのなさるこたあ、このとおり、いつだってそつがねえんだぞ。後学のため、ちっとだんなのつめのあかでももらって煎《せん》じて飲みな」
 いつも変わらぬ右門のゆかしい一面をここにおいても見せましたので、すっかり伝六がわがことのように大みえをきりながら、さっそく命令どおり近くの自身番へ手錠を取りに駆けだそうとすると、まことに人は意気のものです。いや、げにこそ徳は孤ならずでありました。およそ世のこと人のことは、その人おのずからの心がら人徳によって、きのうの敵もきょうは味方になるとみえ、今まで江戸魂の意地張り強く、死しても口はあけじといわんばかりに、がんとして緘黙《かんもく》を守っていたそれなる鳶頭金助が、右門のつねに忘れぬいたわりと慈悲の心に、さしも強情の手綱がとけて、ころりと参ったものか、走りだそうとした伝六を呼びとめていいました。
「ちょっと、ちょっとお待ちなせえまし。こればっかりは口が裂けても申しますまいと思ってましたが、慈悲の真綿責めに出会っちゃかなわねえ。おわけえに似合わず、そちらのだんなは、あっぱれ見上げた男っぷりだ。あっしも江戸っ子|冥利《みょうり》に、すっぱりかぶとをぬぎましょうよ」
 うって変わって自白するといいだしたものでしたから、右門の喜びはいうまでもないことでした。
「そうか、それでこそそのほうも男の中の男|伊達《だて》じゃ。きいてつかわそう、どんな子細じゃ」
「ちっとこみ入った話でごぜえますから、よっくお聞きくだせえましよ。実は、生島屋のおおだんなに八郎兵衛《はちろべえ》っていうおにいさんがもうひとりごぜえましてね、そのかたが兄でありながら、あんまりおかわいそうなご沈落をしていなさるので、見るに見かねて、あっしがちっとばかり侠気《おとこぎ》を出したんでごぜえますよ」
「なるほど、さようか。ともかくも、人のかしらといわれるほどのそのほうがいたしたことじゃから、ただの盗みではあるまいと存じおったが、では、雪舟を盗みとって金にでも引き換え、ないしょにみつごうというつもりじゃったのじゃな」
「めっそうもござんせんや。だから、よくお聞きなせえましといってるんですよ。あっしががらにもなく侠気を出してこの品を盗みとったなあ、そんなちっぽけな了見からじゃねえんですよ。ピンが出るか、ゾロが出るか、生島屋の身上を目あてに賭《か》けて張った大勝負でさあ」
「なに、生島屋の身代……? では、なんぞあの一家には秘密な節でもあると申すか」
「ある段じゃござんせぬ。だんなもとっくりお考えになったらおわかりでござんしょうが、唐《から》や天竺《てんじく》の国なら知らぬこと、おらが住んでいるこの国じゃ、どこの家へいっても、兄貴があったら兄貴へ身代を譲るのが昔からのしきたりじゃござんせんか」
「しかり、それでこそ豊葦原《とよあしはら》瑞穂国《みずほのくに》が、ご安泰でいられると申すものじゃが、そうすると、なにか、あれなる七郎兵衛とか申すのが、兄をさしおいて、なんぞよこしまなことでもいたしおったのじゃな」
「ではないかと存じましてな、あっしが雪舟でちょっと細工してみたんでがすが、どこの家へいったって兄がありゃ兄に家督を譲るのがあたりめえなのに、どうしたことか、あの生島屋っていううちには昔から妙な言い伝えがごぜえまして、子どもがふたり以上生まれたときにゃ、その成人を待って嫁をめとり、そのせがれたちの設けた孫のなかで、男の子を産んだものに、次男だろうと三男だろうと、うちの身代を譲るっていう変なしきたりがあるんですよ。だから、今の大だんなの七郎兵衛さんと、ご沈落しなさっている兄の八郎兵衛さんと、このおふたりが成人なすったときにも、先代の親ごさんていうのがさっそく言い伝えどおり、それぞれむすこさんにお嫁をめとらしたんですがね。するてえと、ご運わるく兄の八郎兵衛さんには女のお子ども衆が生まれ、弟の七郎兵衛さんにはまたご運よくもあの陽吉さんていう男の子どもが生まれたんでね、代々の家憲どおり、七郎兵衛さんが兄をさしおいて、今の生島屋の何万両っていうご身代を、ぬれ手でつかみ取りにしちまったんですよ」
「なるほど、わかったわかった。そうすると、なんじゃな、その七郎兵衛の設けた陽吉っていう男の子どもが少し不審じゃと申すのじゃな」
「へえい。いってみりゃつまりそれなんですが、どうもいろいろとおかしい節がごぜえましてね」
「どのようなことじゃ」
「第一はお湯殿でごぜえますが、男の子ならなにもそんなまねしなくてもいいのに、どうしたことか陽吉さんは昔からひとりきり、別ぶろへへえりなさるんですよ。それも、四方板壁で、のぞき窓一つねえっていう変なお湯殿なんでね。だから、妙だなと思っているやさきへ、今度陽吉さんがおめとりなさった嫁っていうのが、どうもおかしなしろものなんですよ。だんながたはご商売がらもうご存じでごぜえましょうが、日本橋の桧物町《ひものちょう》に鍵屋《かぎや》長兵衛《ちょうべえ》っていうろうそく問屋があるんですが、お聞き及びじゃござんせんか」
「ああ、存じおる。名うての書画気違いと聞き及んでいるが、そのおやじのことか」
「さようさよう、その書画気違いのおやじでごぜえますよ。そいつの娘がつまり陽吉さんのお嫁さんになったんですが、奇妙なことに、その鍵屋にはふたり子どもがあっても、みんな男ばかりで女の子はねえはずだったのに、生島屋とのご婚礼まえになってから、ひょっくりと女の子がひとりふえましてね。そのふえ方ってものがまた妙なんで、今まで長崎のほうの親戚《しんせき》へ預けてあった娘を呼びよせたってこういうんですが、それはまあいいとして、そのかわり今までふたりあった男の子どものうちの、弟むすこってほうが、女の子のふえるといっしょに、ひょっくり消えてなくなったんですよ。長兵衛のいうには、長崎のその親戚へ女の子の代わりに次男のほうを改めてくれてやったと、こういってるんですがね。いずれにしても、男がひとり消えてなくなって、そのかわり女の子がひょっくりとひとりふえてきたんだから、もしや、と思ったんですがね」
「では、なんじゃな、そこに何か細工があって、若主人の陽吉は実際は女であり、嫁に来たろうそく問屋の娘っていうのが、もしやほんとうは男であるまいかと、こういう疑いがわいたと申すのじゃな」
「へえい、あっしだけの推量なんでごぜえますが、陽吉さんの別ぶろのことといい、ろうそく問屋の次男坊の見えなくなったことといい、なんかうすみっともねえ小細工しているんじゃねえかと思うんですよ」
 なんぞ深い子細があっての盗みだろうとはすでに見きわめがついていましたが、七郎兵衛一家の上に、陳述のような疑雲がかかっているとするなら、ここに事件は意想外な方向への急転直下を始めかけましたので、捕物名人の全知全身は急激に緊張の度を加えて、見るまに両のまなこがらんらんと活気を帯びてまいりました。と同時に、その記憶の中へ、ぴかりと電光のごとくにひらめき上がったものは、朝ほど買い物にいったとき、生島屋の店先でふとかいま見た若主人陽吉の美男ぶりでした。いや、美男ぶりのその記憶よりも、あのとき、はしなくもみせた陽吉の女にも見まほしいほおの赤らみとはにかみでした。
 こりゃ思わぬ色っぽい捕物になりそうだなと思いましたので、右門は語をついで尋ねました。
「しからば、雪舟は何がゆえに盗みとったのじゃ」
「それがあっしの苦心なんですよ。だんなはさっき、バカの小知恵とおっしゃいましたが、あっしとすりゃあれを盗むのがいちばん近道と思いやしたからね。さればこそ、一生一度の盗みもしたんですが、それってものは、あのろうそく屋の長兵衛めがちっと気にいらねえ癖があってね。いま手もとに集めている書画の掛け物はおおかた二、三百幅もあるんでしょうが、一本だっててめえが金を出して買った品はねえんですよ」
「では、いずれも盗みとった品物じゃと申すのか」
「いいえ、もっと根のふけえやり口で巻きあげるんですがね。ひとくちにいや、みんなゆすり取るんですよ。そのゆすり方ってものがまた並みたいていのゆすりようじゃねえんだがね、どこかにいい幅のあることを耳に入れると、しつこくその家をつけまわして、何かそこの家の急所になるような秘密とかあら捜しをやったうえに、うまいこと巻きあげちまうんですよ。だから、生島屋のこの雪舟にしたって、やっぱりその伝でね、こないだ長兵衛がこいつをくれろといって、ゆすりに来たと小耳へ入れたものだから、長兵衛がくれろというからにゃ、何か生島屋の急所となる秘密かあらを握ってからのことだろうと思いやしたので、もしかすると、おれのにらんでいる急所じゃねえかと思ったところから、こいつを盗み取らば、自然事が大きくなって生島屋のほうでもあわてだすだろうし、長兵衛のほうでもゆすりの種をなんかの拍子に明るみへさらけ出さないもんでもあるまいと思って、ちっとまわりくどい方法でしたが、ためしに盗んでみたんですよ」
 いっさいのなぞがその陳述によって解きあかされましたものでしたから、右門の全能力はここに戛然《かつぜん》と音を発せんばかりに奮い起こりました。第一はその侠気《おとこぎ》です。一介の市人鳶頭の金助ですらが、かく侠気からあえて盗みをも働いたというのに、それほどの奇怪至極な秘密を聞き知って、われらの義人むっつり右門が黙視のできる道理はないはずでしたから、凛《りん》として言い放ちました。
「よしッ。おれがそのからくりをあばいてやらあ。さ、伝六ッ。ちっとまたおめえには目の毒になることを見せなきゃならなくなったから、しっかりと了見のひもを締めておきなよ……じゃ、参ろう、駕籠《かご》だッ」
 たちまち伝六が二丁をそこにそろえましたので、右門は雪舟をこわきにしながら、時を移さずに、飛びのりました。

     4

 時刻はすでに四ツを回って、普通ならばとっくに寝ついているべきはずでしたが、昼の大売り出しの勘定がつかないとみえて、まだ生島屋ではいずれもが起きていましたので、右門はかって知った内玄関のほうへ駕籠を乗りつけると、案内も請わずにずかずかと門内へはいっていきました。
 と……そのときはしなくも耳を打ったものは、そこの勝手わきの井戸ばたで、じゃぶじゃぶと洗い物をでもしているらしい水の音でした。昼のせんたくならばけっして右門とて不審はいだかなかったが、この夜ふけにないしょがましい洗いすすぎは、いかなる微細なことをも見のがし聞きのがしたことのない捕物名人にふと不審をわかしましたので、突然襲い入るように井戸ばたへ回っていきました。
 見ると、洗いすすぎをやっていたものは生島屋の下女でしたから、右門はのぞき込むようにしてきびしく尋ねました。
「品物はなんじゃ」
「えッ、た、たびでございますよ」
「なに、たび……! だれのたびじゃ」
「若だんなさまがたのたびでございます」
「どれ、みせろ」
 取りあげてみると奇怪です。男のはくべき黒のほうがわずか八文七分で、女のはくべき白のほうが、なんとばかでかい足のことには十文半もありましたものでしたから、仁王《におう》様のおつれあいででも用いるたびなら格別、大和《やまと》ながらの優にやさしい女性に十文半の大足は、不審以上に奇怪と思いましたので、右門は時を移さず奥へ通ると、そこにねこぜを丸めながら、しきりと金の勘定に夢中だった七郎兵衛に向かって、こわきの雪舟を投げつけるようにしながら、ずばりといいました。
「そら、のぞみの品じゃ。よく改めろ」
「あっ、たしかに見覚えの雪舟でござりまするが、この変わり方はどうし
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