しもあの一条がいまだに気持ちがわるいんですがね。右門のだんなならお頼みするが、ほかの八丁堀衆なら頼むまいっていわんばかりのことを、変に気を持たせてぬかしゃがったからね」
「だから、こいつちっと大物かと思っているのさ。それに、時が時だからな……おっと、いけねえ、いけねえ。話に夢中になっているうちに、とんでもねえほうへ来ていらあ。ここをいっちゃ深川へ出てしまうじゃねえか。に組っていや、たしか神田だったろ」
「へえい、さようでござんす。連雀町《れんじゃくちょう》あたりに火の見があったはずでござんすよ」
「じゃ、めんどうくせえや。ひと飛びにまた例の駕籠《かご》[#「駕籠」は底本では「駕駕」と誤記]にしようよ」
「そらッ、おいでなすった。もう出るか、もう出るかと待っていましたっけが、だんなの口から駕籠っていうお声がかかりゃ、槍《やり》が降ろうと、火の玉が舞おうと、もうおれが天下だ。――おいそこの裸虫! 大急ぎ二丁ご用だぜ」
 この師走空《しわすぞら》にしり切れじゅばん一枚きりで、そこの橋たもとにふるえていた裸人足を見かけると、景気よく伝六が呼び招きましたので、右門はむっつりとくちびるを引き締めながら、いよいよこれより右門流の水ぎわだった捕物にかかろうといわんばかりで、筑波《つくば》おろし吹きしきる大江戸の昼日中町を、神田連雀町目ざして駆けさせました。

     3

 目じるしが火の見やぐらというのっぽの背高でしたから、に組の火消し番所は労せずしてすぐと見つかりました。火消し番所が見つかった以上、鳶頭《とびがしら》の金助はさらに手間暇を要せず居どころが判明したものでしたから、右門はまず在否を尋ねました。
 しかし、居合わした若い者の答えによると、金助は一度帰宅したが、その足でただちにまたいずれかへ他出したということでありました。だから、普通の者ならば、少しうろたえて他出先とか立ちまわり先を、目の色かえながらききただすところでしたが、しかるに右門は、いたっておちつきはらいながら、さようか、では、引き揚げようとばかりに、ろくろく出先もきこうとしないで、さっさと帰りだしたものでしたから、いつもながら、ことごとく首をひねってしまったのはおしゃべり屋伝六です。
「ね、どうしたんですかい。野郎品物を持ってどこかへこかしに行ったとするなら、すぐと足を洗わなくちゃなりませんが、いやにおちつきはらっていなさるところをみると、急にここまでやって来てほしが狂ったんですかい」
 すると、右門がうるさいといわんばかりに、ずばりと答えました。
「人を見て法を説けというやつだよ。かりそめにも、に組の鳶頭っていや、侍にしたら城持ち大名ほどの格式じゃねえか。高飛びすりゃしたで顔がきいているからすぐにわかるし、また江戸っ子のちゃきちゃきが、そんなぶざまなまねもしめえじゃねえか。大船に乗った気で、晩のおかずの心配でもしなよ」
 女もいらじ、金もいらじ、ただのぞむものはおいしいものばかりといいたげに、ごくおちついていたものでしたから、伝六もそれっきりむだな問いを発しませんでしたが、しかし、そう見えながらむっつりとおし黙って、例のおなじみのあごひげをまさぐりまさぐり、不断になにごとかを考案くふうしているのが、いつもながら捕物名人の癖です。果然、なにごとかくふうがついたとみえて、その夜のかれこれもう二更すぎたころでした。
「さ、伝六! お出ましだッ」
 むくりとこたつからはい出ると、おおかた人々が寝に就こうというそんな夜ふけに、ふいっと外出のしたくを始めましたものでしたから、ぎょうてんしたのはいうまでもなく伝六です。
「この寒いのに、正気ですかい」
「正気でなくてどうするかい。火事は、寒い暑いにかかわらず、燃えるときが来りゃ燃えるんだよ」
「えッ? どっかで今、半鐘でも聞こえるんですか」
「あいかわらずどじを踏みだすと、感心してえほど連発するな。いま半鐘が鳴っているっていうんじゃねえんだよ。このからッ風じゃいつ火事を出すかわからねえから、そろそろ出かけようっていってるんだ」
「禅の問答みたいなことおっしゃいますね。よしんばからッ風が吹いているにしても、だんなやあっしが火の番でもねえのに、なにもうろうろするにゃ当たらねえじゃござんせんか」
「決まってらあ。おれたちが火事見回りに行くんじゃねえんだよ。火事が出そうなこんな晩にゃ、火消しや鳶《とび》人足はうちをあけずに寝ず番で起きているから、おおかた金助ももう外出から家へけえっているにちげえねえっていってるんだ」
「な、なるほどね。目のつけどころが凝ってらあ。いかにも金助め、この風じゃ心配になって、うちにいるにちげえねえでがしょう。では、また駕籠《かご》ですかい」
「寒い風に当たるのも一つの修業じゃ。歩いて参ろう」
 いうや雪駄《せった》をうがって、ゆうぜんとふところ手をしながら、いっそうひゅうひゅうとこがらしの吹きつのりだした往来へ歩きだしましたので、伝六も負けずにあとを追いました。
 年の瀬近い江戸の大路の屋並みは、すでにまったく大戸をおろして、まこと名物の江戸の花が、いまにもそこらあたりからじゃんじゃんぼうとやりだしそうな夜ふけでした。
 行きついてみると、案の定金助は出先からもどりかえって、そこの長火ばちの向こうに古稀《こき》の老体とは見えぬがんじょうな体躯《たいく》をどっしりと横すわりにさせていたものでしたから、右門はごめんとばかり上がっていきました。
 しかし、金助のそのつらだましいをしげしげと見て、右門はちょいと、二の足を踏んだかたちでありました。生まれおちるから火事の中に育って、この世にこわいものは一つもないといいたげな、不敵無類の面貌《めんぼう》をしていましたものでしたから、人を見て術を施すにさとい右門は、はて、いかにして口をあかしたものかというように、ややしばしためらっていたようでしたが、そのときはからずもかれの目にとまったものは、そこのへやの境に使われている四本のからかみふすまです。ふすまは家につきものの造作ですから、いっこう不思議でも不審でもなかったが、いぶかしかったことは、その四本だけが他のへやの古すぎるほど古いのに比べて、特別の新しさを備えていることでした。それも尋常一様の新しさではなく、のりのしめりぐあい、紙のかわきぐあいなぞから推しはかってみると、つい一、二刻まえあたりに張り替えたらしいような点が見うけられましたものでしたから、早くも右門の特別仕立ての明知が、ピカピカとさえ渡ったもののごとくでありました。いや、同時にもうその盗難品の隠匿場所も、どうしてそれを完全に看破したらいいか、その方法も、すでにいっさいのくふうがついたもののごとく、突然にやりと笑っていたようでしたが、はじめからこの家を目ざして来たというのに、ぽつりと妙なことをいいました。
「失礼失礼。ついお隣とまちがえて、とんだ無作法をつかまつった。あしからずごめん――」
 いうと、そのまま表へ出ていってしまいました……そろそろ右門流が始まったなと、伝六が次の行動を待っていると、果然右門が奇怪至極な命令を発しました。
「一二三の合い図をするから、きさまもいっしょに、この家の前で、お隣が火事だと大声で叫べ!」
「だって、火事でもねえのに、そんな人騒がせのことを叫んだら、のされちまいますぜ」
「八丁堀の右門様がどなれとお命じになってるんだ。――いいか、そら、一二三!」
 なにごとか成算のあるもののごとく、右門が一二三と合い図をしたものでしたから、そういうこととなると特別大好物な伝六です。
「火事だア。火事だア。お隣が大火事だア」
 右門の叫ぶ声に合わせて、必死と伝六も叫びました。なにしろ、宵《よい》のうちからひゅうひゅうとからッ風が吹き荒れて、今晩あたり出火したら、と大びくびくのところへ、場所もあろうに鳶頭《とびがしら》金助の家の前で、お隣が大火事だア、とばかり大声でどなったものでしたから、なんじょうあわてないでいられましょう! 刺し子をまとって用意をしていたいなせの若者が、どやどやと金助の家から飛び出しました。
 と――、そのあとから商売がらにも似合わずに大狼狽《だいろうばい》で、血色を失いながら駆けだしたものは、だれあらぬ鳶頭の金助自身でありました。けれども、飛び出しながら金助のけんめいにひっかついでいたものは、なにかとおぼしめす?――これぞ、笑止というか、こっけいというか、それとも当然なことというか、あの先ほど右門が不審を打った、四本の新しいからかみふすまの一本でありました。――まことにいつもながら捕物名人の、いわゆる右門流は、人の意表をつくことかくのごとく、また、水ぎわだってあざやかなことかくのごときものばかりでしたから、三嘆これ久しゅうしてもほめきれないぐらいでしたが、隣が火事とききつけ、まっさきにふすまをかつぎ出したことは、いうまでもなくそのものが第一番に貴重な品であることを問わず語りに物語っていましたので、最初から四本のふすまを怪しとにらみ、そのうちのいずれに秘密の細工をしてあるか労せずしてそれを看破しようと、かく奇計をめぐらしてその思うつぼに相手をおとしいれた右門は、早くもそれと知るや、例の十八番草香流やわらの一手で、ぐいと金助の腕をねじあげておきながら、莞爾《かんじ》とうち笑みうち笑みいいました。
「火事に慣れないものなら、仏壇と石うすをまちがえてかつぎ出すということもあるが、おあいにくさまにきさまは鳶頭だったんで、あわてましたと申し開きのできないことがおきのどくだな。――苦心して罪を隠そうとしたてめえの手品の種をあかしてやるから、さ、来い!」
 ぐいぐい家の内へひきずっていくと、いきなり小柄《こづか》をぬいて、おらがだんなの知恵はどんなものじゃい、というように大得意で伝六が持ち運んできたそれなるふすまを、ばりばりと注意深く引きさきました。といっしょで、果然上張りの一枚下からにょっきりと正体を現わしたものは、画面だけを切り抜いた名画雪舟の一幅でした。
「それみろッ。これがバカの小知恵というやつじゃ。なまじりこうぶって、こんなものの下張りに張り込んでおくから、余人は知らず右門の目にかかっては、隠しきれなかったのじゃ。さ! 神妙に申し立てろッ」
 だが――、かく歴然と現品は剔発《てきはつ》されているのに、この期に及んで鳶頭の金助は、その不敵無類なつらだましいが物語っているごとく、がんとして口をとじたままでした。それも犯行を自白しなかったばかりでなく、何がゆえにかような品を盗み出すにいたったか、石のごとくに無言でありました。
「たとえ口がさけても、このことばかりは断じて申されませぬ!」
 ただひとこといったきり、江戸っ子魂の意地の強さを眉宇《びう》にみなぎらしながら、厳として緘黙《かんもく》したきりでしたから、当然の帰結としてなんびとにもただちに想起される問題は、拷問火責めの道具ばかりとなりました。
 けれども、余人は知らずわがむっつり右門の得意としたところのものは、拷問火責めの荒道具を用いざるところにあったはずです。そのかわりに、たぐいまれな、安物でない明知という武器が残っていたはずでありました。さればこそ、そのときはからずもかれの胸中に思い出されたものは、生島屋の七郎兵衛が、特に右門ならばというように、念を押したあの一条のいぶかしい記憶でありました。それとともに思い合わされたものは、昼間生島屋を引き揚げる道の途中で、伝六に述懐したごとく、りちぎ者と名をとった公人の鳶頭が盗みを働く以上は、なにか深い根があるだろうといった、その推断でありました。それこれを思い合わしてみるに、案の定ぞうさのなさそうに見えた事件は、ここに及んでがぜん第二のなぞと秘密に包まれた雲霧の中に吸い込まれていきましたので、それみろ、いったとおりだったろう、と言いたげに右門はややしばしなにごとかをうち案じていましたが、それならそれでまた別な吟味方法でとばかり、ふいっと伝六に意表をついた命令を発しました。
「どこか近くの自身番に、座敷手錠があるだろうから、
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