お正月が来るっていうのに、暮れの景気も知らねえじゃ、いかにもしみったれみたいで業腹だから、ひとつぶらぶらといってみますかね」
 朝湯がえりにひょっくりと顔をみせると、ちょうどその日は非番のために、右門が屈託顔でねこごたつにあたりながら、おなじみのあの十八番のあごひげをまさぐりまさぐり、草双紙かなんかに読みふけっていましたので、そそのかすように水を差し向けました。
「そうそう、おれァあの子に帯を買ってやる約束だっけ。腹ごなしに出かけようか」
 すると、右門が、まさかと思っていたのに、妙なひとりごとを漏らしながら、ふいと立ち上がりましたものでしたから、水を向けるには向けましたが、案外な気のりのしかたに、かえって伝六があわててしまいました。
「そりゃほんとうですかい」
「みくびっちゃいけねえよ。おめえのひとり者と、おれのひとり者とは、同じひとり者はひとり者でも、できが違うんだ――行くなら早くお小屋へけえって、へそくりをさらってきなよ」
 本気で促しましたものでしたから、おしゃべりとほっつき歩きの大好物な伝六は、犬ころのようになってしたくに駆け帰りました。
 寒は寒でしたが、いいぐあいに小春日で、それがまたいっそう客足を呼んだものか、小田原町の通りまでいってみると、もう店先はいっぱいの黒山でありました。それらの黒だかりしている客の間を、少年店員が右往左往しながら、わめくようにあちらからもこちらからも呼び合いました。
「えい、一両で二十八文のおかえしイ」
「さらしの上物一反――」
「こちらは黄八丈のどてら地イ――」
 しかし、そのとき、ふと右門の目をひいたものは、そこの帳場ごうしの向こうにそろばんをぱちぱちとはじきながら、手が八本あっても忙しくてたまらないといいたげに、しきりに金勘定をやっている若者でありました。たぶん、それが今度親の跡めを継いだという生島屋呉服店の新当主陽吉にちがいないが、右門の目をひいたというのは陽吉のすばらしい美男子ぶりで、それがまた並みたいていの美男子ではなく、おなごにしてもこのくらいな上玉はそうたくさんあるまいと思われるほどな逸品でしたから、ついひかれるともなくそのほうへ目をひかれました。
 それと知って、ところかまわずがらッ八を始めた者は、例のとおりおしゃべり屋伝六で、こやつはほかのこととなるとご存じのようにいたってどじの伝六なんだが、どうしたこと
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