るであろうな」
「へえい、もう大知りでござんす。またこのかたきの人相くらい覚えやすいやつはございませんよ。どうしたことか、右の耳が片一方なくなっている浪人上がりだとか申しましたからな」
「さようか、なによりじゃ。では、黙山坊を同道いたして、明日早く八丁堀《はっちょうぼり》へたずねてまいれよ」
「へえい、承知いたしました。だが、八丁堀はどなたと申しておたずねすればよろしゅうござりまするか」
「名まえを告げて、もう一度びっくりさせてやりたいが、そのほうごとき生臭に名のるのはもったいないわ。黙山坊が屋敷はよく存じているはずじゃから、くれぐれもいたわって、いっしょに参れ」
 言いおくと、右門はひょうたんから飛び出した駒《こま》が案外にも王手飛車取りに使えることになりましたものでしたから、万事は明日を期して、まず八丁堀へ引き揚げることといたしました。

     4

 かくて、その翌日となりました。
 もちろん、朝のうちに熊仲《ゆうちゅう》和尚《おしょう》が黙山を道案内で訪れてくるだろうと思いましたから、心しいしい待ちあぐんでいると、ところがまんまと一杯食わしたか、いっこう姿が見えないのです。
「ちくしょうッ、甘く見やあがったかな」
 あまりとんとんと鉄山殺しのめぼしがつきすぎたので、あるいはと思いながら多少の不安をおぼえて待っていると、だが、熊仲も、女犯の罪こそは犯したというものの、やはり法《のり》の道に仕える沙門《しゃもん》でありました。とうにお昼を回って、もうかれこれ八つに近い刻限、ようように姿を見せましたものでしたから、右門はさっそくにきめつけました。
「てかてか顔のほてっているところを見ると、またひのき稲荷《いなり》へ回って、般若湯《はんにゃとう》でも用いてきたな」
「冗、冗談じゃございませんよ。こりゃ、大急ぎに駆けてきたので、赤くなったんでござんすよ」
「大急ぎとは何が出来《しゅったい》したのじゃ」
「鉄山殺しの居どころがわかったんでござりますよ」
「なに、わかった? どこじゃ、どこじゃ」
「ここでなにかてがらをたてなきゃ、罪ほろぼしができないと存じましたからな。あんなぼろ寺でも住職のありがたさに、けさほど檀家《だんか》の縁日あきんどを狩りたてて、江戸じゅう総ざらえをいたさせましたら、耳なし浪人くまの檻《おり》を引き連れて、きょうから向こう三日間、四谷《よつや》の毘沙門《びしゃもん》さまの境内で、縁日興行を始めているというんですよ」
「そうか、さすがは仏に仕える者じゃ。よくてがらをたててまいった。では、伝六ッ、今度こそはほんとうに十手の用意がいるぞッ」
 善根善果はてきめんで、許しがたき罪をも許してやったばっかりに、かく居ながら事がとんとんと運ばれましたものでしたから、右門の一行は躍然として、豆からはえたごとき愛らしき少年僧をまんなかにいたわりながら、ただちにそれなる四谷の毘沙門天をめがけて八丁堀を立ちいでました。
 行きついてみると、なるほど熊仲和尚の報告どおり、南部名物くまの手踊りはいまし興行のさいちゅうでありました。がんじょうな木造りの檻《おり》にはいっているのは大小二頭の荒ぐまで、そばには道化た服装をした男が三人ばかりむちを携えて付き添いながら、かわるがわるにとんきょうな声で口上を言いたてました。
「さあさ、前へ回ってよっくごらんなさいよ。これは奥州南部|兜明神《かぶとみょうじん》ガ岳《だけ》の山奥でいけどりましたる女夫《めおと》ぐまでござい。右が雄ぐま、左が雌ぐま。珍しいことには、人のことばをよく聞き分けまする。安珍清姫恨みの恋路、坂田の金時|女夫《めおと》の相撲《すもう》、牛若丸はてんぐのあしらい、踊れといえば、そら、あのとおり、――牛若丸はてんぐの踊りとござい」
 いいながらむちでたたくまねをすると、いかさま二匹のくまはのっそりのっそりと立ち上がって、いとも器用に鞍馬山《くらまやま》の牛若丸を思わすような剣術の型を使いました。――見物人はむろんのことに、巧みなその踊りを見ると、わッとばかり二匹のくまに拍手の雨を送りました。
 しかし、右門ら一行のものにとっては、くまの手踊りよりも片耳のない浪人者が、その一団のうちに交じっているかいないかが第一の問題でしたから、見物人のうしろにかくれて、各自の目を光らしながら、ひとりひとり遊芸人の耳を調べました。
 ところが、不思議なことに、どこにもそれらしい人物がいないのです。木戸にいる者、檻のそばについている者、くま使いの者なぞを合わせると、全部で六、七人の遊芸人がいましたが、いずれも一くせありげなつら魂ではあっても、その耳は両方共に完全無欠な者ばかりでしたから、いぶかしく思っていると、そのときまたくま使いの道化者が、見物人の拍手に調子づいたもののごとく、とんきょうに口上を言いたてました。
「――では、次なる芸当差し替えてご覧に入れまする。楠公《なんこう》父子は桜井の子別れ。右なる雄ぐまは正成《まさしげ》公。左の雌ぐまは小楠公。そら、あのとおり、ここもとしばらくの間は、忠臣孝子別れの涙にむせぶの体とござい」
 いうと、まことや二匹のくまは、人のことばが聞き分けられるもののごとくに、ちょこなんと向き合ってすわりながら、器用な身ぶりで愁嘆のしぐさを演じてみせましたものでしたから、見物人はふたたびまたやんやと喝采《かっさい》の雨を送りました。
 しかし、その喝采が鳴りやむかやまないかのとたんでありました。右門の目を鋭く射たものは、左の雌ぐまは踊りも動作もぶ器用であるのに、右なる雄ぐまはさながら人間ではないかと思われるほどもすべてがあまりに器用すぎる一事でした。と知るや、突然見物人を押し分けて前へ出ると、ぎらりおのれのわきざしを抜き放って、それを黙山の手に持たせながら、叱※[#「口+它」、第3水準1−14−88]《しった》するように鋭く叫びました。
「ようよう捜していたかたきが見つかりましたぞ! お兄いさまがそなたへいうたように、あの右の雄ぐまが憎いかたきじゃから、それなるわきざしで存分に突きなされッ、突いて突いて突きなされッ」
 不意にわきざしを持たせて、檻の中のくまを突けといったものでしたから、伝六|熊仲《ゆうちゅう》の驚いたことはもとよりでしたが、それをむっつり右門と知らぬ並みいる見物人は、どこの気違い男が血迷ったことをいいだしたのだろうというように、おどろきよりもあきれ果てた顔つきで、いずれもが目をみはりました。いや、それよりもいっそうあわをくらったのは、くま使いのひとくせありげな遊芸人たちで、どやどやと左右から飛び出してくると、口をそろえながら必死にいいました。
「な、な、なにを血迷ったことをしやがるんだ! だいじなくまなぞを、そんなもので突き殺されてたまるけえい! どけッ、どけッ」
 いうや、大手をひろげてその行く手をさえぎろうとしましたので、突きのけておくと右門は小気味のいい啖呵《たんか》を大音声《だいおんじょう》できりました。
「見そこなうなッ。おれが八丁堀のむっつり右門だ。江戸じゅう残らずの者の目をかすめることができても、むっつり右門だけはできが違うぞッ! さ! 黙山! かまわずに、そっちの雄ぐまを突け突けッ」
 下知を与えると、どんどん檻の前へひっぱっていって、右の大きな雄ぐまを目がけながら必死と突きを入れさせました。なにしろ、一方は自分の兄がくまにやられたとばかり無心に信じきっている少年です。しかるに、相手の突かれるくまのほうは、悲しいことに檻の中という不自由な場所にいたものでしたから、身をかわすべきすべもなく、哀れ三突きめの鋭い切っ先にぐさりとその脾腹《ひばら》をやられて、うおうと一声、けもののような人間のようなわけのわからないうめき声を発しながら、あけに染まってのけぞりました。
 それと見るや、右門は疾風迅雷の早さで、黙山の手からわきざしを奪いとると、さしもがんじょうな檻の木格子《きごうし》をただ一刀のもとにばらりと切り開いて、刺された雄ぐまを地上にひきずりおろすと、ばりばりと首の皮を切りはがしました。――と、なんたる意外でありましたろう! いや、むっつり右門のやることに意外のあろうはずはないので、なんたる鋭い慧眼《けいがん》でしたろう! 果然、はぎとった皮の一枚下からは、くまと思いきや、りっぱな人間の首が現われたのです。しかも、その耳!
 目をみはるまでもなく、その耳は左の片一方しかなかったものでしたから、右門はまだ絶えだえとしてあがき苦しんでいるそれなる耳のない浪人者に、ののしるごとくいいました。
「ざまをみろ! これがほんとうに下司《げす》の知恵というやつじゃ。こんな縫いぐるみなぞをかぶって、笑止なことに孝子のやいばを避けようとしたゆえ、一太刀《ひとたち》も合わさずに討たれるような恥をさらしたのじゃ」
 そして、黙山を顧みると、ふたたびわきざしを持ち添えてやりながら、促すように叫びました。
「さ! 姉上兄上ふたりのかたきじゃ。門前のつり鐘を打ちのめす意気合いで、みごとに恨みを晴らしてしんぜられよ」
 なんじょう黙山の今はちゅうちょすべき、かわいい声をふりあげると、姉上兄上ふたりのかたき思い知ったかとばかりに、大きく袈裟掛《けさが》けに二太刀切りさげました。
 同時に、周囲の人がきからは、孝子のかたき討ちをほめそやす賞賛の声と拍手がどっとあがりました。
 しかし、その拍手のまっさいちゅうです。意外なできごとが突如としてそこに勃発《ぼっぱつ》[#ルビの「ぼっぱつ」は底本では「ばっぱつ」]いたしました。まことにそれは意外以上に予期しなかったできごとでしたが、かく助勢のうえで首尾よく黙山のかたき討ちもとげ、世間を瞞着《まんちゃく》していた熊芸人の正体を看破した以上は、自然そこに居合わした遊芸人たちも四散するだろうと思いましたので、伝六以下の三人を従えて拍手賞賛の間をゆうゆう引き揚げようとすると、まったく不意打ちでありました。ひとくせありげなつら魂の者たちとは思っていても、いずれも名もない世間渡りのありふれた遊芸人だろうと多寡をくくっていたのが、右門にも似合わない目きき違いで、意外にも居合わした五人の遊芸人たちは、いっせいにおっ取り刀で駆けだしてくると、ぎらり刃ぶすまを作りながらその行く手をさえぎって、中なる年かさの一人が鋭く叫びました。
「よくも兄弟を討ったなッ、ただのさか恨みとはいわせぬぞッ。こうなりゃ商売のじゃまをされた仲間の恨みだッ。さッ、すなおにそこへ直れッ」
 いうと、理不尽なことにも、仲間を討たれたさか恨みと、商売を妨げられた恨みとをたてにとりながら、不敵にも右門へ刃《やいば》を合わせようとしたものでしたから、予期しなかった敵対に不意を打たれて、おもわず二、三歩あとずさりながら、まずじっと五人の太刀先《たちさき》に目をつけました。
 と、――いぶかしや、ただの素浪人と思っていたのが、いずれも相当に使うらしく、それぞれ型にはまった太刀筋を示していたものでしたから、右門は騒がずに声をかけました。
「では、きさまらも一つ穴の浪人上がりじゃな」
「今はじめて知ったかッ。放蕩《ほうとう》無頼に身をもちくずしたために、南部家を追放された六人組のやくざ者だ。むっつり右門だか、とっくり右門だか知らねえが、南部の浪人者にも骨があるぞッ! さ! 抜けッ!」
 天下公知の大立て物を、ののしるべきことばに事を欠いて、とっくり右門と冷笑したものでしたから、なんじょう右門の許すべき、いよいよ今度こそは抜かなくちゃならないかな、というように会心そうな笑《え》みを見せていましたが、静かに黙山と熊仲の両名をうしろへかばうと、ぷつりと音もなく細身の鯉口《こいぐち》を切りながら、威嚇するようにいいました。
「とっくり右門でもびっくり右門でもさしつかえはないが、このからだが二寸動くと錣正流《しころせいりゅう》の居合い切りで、三人ぐらいいちどきに命がとぶぞッ。それでも来るかッ。それとも、今のうちに刃《やいば》を引くかッ」
 それがまたほんとうに抜いたとならば掛け値のない
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