「いかにもな。それならば、くまにやられたと申した鉄山のことばとも符節が合うているが、しかし、なぜそれほども詳しい下手人の面書きがついているのに、これなる黙山へは厳秘にしておいたのじゃ」
「だんなにも似合わないお尋ねでござりまするな。もしも黙山に詳しいことを知らして、またまたこれが子ども心にかたきを追いかけ、このうえつづいてむごたらしく返り討ちになるようなことがござりましたら、いったいあとはだれがきょうだいたちのかたきを討つのでござります? まるで、血を引いたものは根絶やしになるではござりませぬか」
「いかさまな。女道楽なぞするだけあって、なかなか才はじけたことを申すわ」
 いうと、右門はしばらく黙考をつづけていましたが、ことばを改めると強く念を押すようにいいました。
「では、さきほどの見のがしてくれという問題じゃが、けっして二度とは女犯の罪を犯すまいな」
「へえい、もう今夜ぐらい命の縮まった思いをしたことはござりませぬから、今後いっさいこのようなバカなまねはいたしませぬ」
「でも、蛤鍋《はまなべ》かなんかでやにさがっていたあたりは、あんまり命が縮まったとも思えないではないか」
「それが縮まったなによりの証拠でござります。いたっててまえはこれが好物でござりますので、もうお番所からさきほどのようにお使いがあった以上は、いずれてまえのお手当もそう遠くないと存じ、今生の思い出に腹いっぱい用いておこうと思いまして、やぶれかぶれにやっていたのでござります」
「猥褻《わいせつ》至極なやつじゃ。女のもとへ逃げ走って、今生の思い出に蛤鍋なぞをたらふく用いるとはなにごとじゃ。――だか、うち見たところ存外のおろか者でもなさそうじゃから、今回だけは兄弟ふたりを拾い育てたという特志に免じ、見のがしておいてつかわそうよ」
「えッ、すりゃ、あの、ほんとうでござりまするか!」
「しかし、このままでは許さぬぞ。もとはといえば、そのほうがあの日鉄山を、所もあろうにかくし女のもとへなぞ使いによこしたから、あたら少年の前途ある命もそまつにせねばならぬようになったのじゃ。だから、あすより手先となって、これなる黙山のかたき討ちに助力をいたせ」
「へえ、もうお目こぼしさえ願えますれば、どのようなことでもいたしますでござります」
「むろん、鉄山からきいて、かたきの人相はどんなやつじゃか、そのほうはよく存じているであろうな」
「へえい、もう大知りでござんす。またこのかたきの人相くらい覚えやすいやつはございませんよ。どうしたことか、右の耳が片一方なくなっている浪人上がりだとか申しましたからな」
「さようか、なによりじゃ。では、黙山坊を同道いたして、明日早く八丁堀《はっちょうぼり》へたずねてまいれよ」
「へえい、承知いたしました。だが、八丁堀はどなたと申しておたずねすればよろしゅうござりまするか」
「名まえを告げて、もう一度びっくりさせてやりたいが、そのほうごとき生臭に名のるのはもったいないわ。黙山坊が屋敷はよく存じているはずじゃから、くれぐれもいたわって、いっしょに参れ」
 言いおくと、右門はひょうたんから飛び出した駒《こま》が案外にも王手飛車取りに使えることになりましたものでしたから、万事は明日を期して、まず八丁堀へ引き揚げることといたしました。

     4

 かくて、その翌日となりました。
 もちろん、朝のうちに熊仲《ゆうちゅう》和尚《おしょう》が黙山を道案内で訪れてくるだろうと思いましたから、心しいしい待ちあぐんでいると、ところがまんまと一杯食わしたか、いっこう姿が見えないのです。
「ちくしょうッ、甘く見やあがったかな」
 あまりとんとんと鉄山殺しのめぼしがつきすぎたので、あるいはと思いながら多少の不安をおぼえて待っていると、だが、熊仲も、女犯の罪こそは犯したというものの、やはり法《のり》の道に仕える沙門《しゃもん》でありました。とうにお昼を回って、もうかれこれ八つに近い刻限、ようように姿を見せましたものでしたから、右門はさっそくにきめつけました。
「てかてか顔のほてっているところを見ると、またひのき稲荷《いなり》へ回って、般若湯《はんにゃとう》でも用いてきたな」
「冗、冗談じゃございませんよ。こりゃ、大急ぎに駆けてきたので、赤くなったんでござんすよ」
「大急ぎとは何が出来《しゅったい》したのじゃ」
「鉄山殺しの居どころがわかったんでござりますよ」
「なに、わかった? どこじゃ、どこじゃ」
「ここでなにかてがらをたてなきゃ、罪ほろぼしができないと存じましたからな。あんなぼろ寺でも住職のありがたさに、けさほど檀家《だんか》の縁日あきんどを狩りたてて、江戸じゅう総ざらえをいたさせましたら、耳なし浪人くまの檻《おり》を引き連れて、きょうから向こう三日間、四谷《よつや》
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