に及んだ素因が単なる失恋の結果からであるか、それともほかに何かかくされた事件があるか、その二つを剔抉《てっけつ》すればいいのでしたから、もうこうなるとくるわにおける一介のぶこつ者は、断然として天下公知の捕物《とりもの》名人に早変わりいたしまして、その場からただちに例の疾風迅雷的な行動が開始されることとなりました。
「いや、いろいろとよいこと聞いて重畳《ちょうじょう》じゃった。では、せいぜいお客をたいせつに勤め果たして、はようそなたも玉の輿《こし》にお乗りなせえよ」
 あっさりいうとすうと立ち上がって、おどろきあきれている揚げ屋の者に、ちゃらりと小判を投げ与えておくと、表へ出るや、伝六にもう鋭い声をかけました。
「さ、例のとおり、駕籠《かご》だ、駕籠だ」
「ようがす、だんなの口からそれが出るようになれば、もうしめこのうさぎだ」
 用意のくるわ駕籠にうち乗ると、見返り柳もなんのその、思案橋も勇んで飛んで、一路目ざしたところは、いわずと知れた浅草馬道の二つめ小路です。

     3

 行き行くほどに空は曇って、まもなくぽつりぽつりとわびしい秋の雨でありました。見れば見捨てておけぬ侠気《きょうき》からとはいいじょう、死を選ぼうとした男のために、それほども愛し恋していた女のもとを代わって訪れようとする今のおのが身をふりかえると、わびしくふりだした秋雨についさそわれて、まだ恋知らぬ右門も、なにかしらあじけなく、はかない感じをおぼえましたが、そのまに駕籠はもう二つめ小路までさしかかっていたものでしたから、さっそくに目ざした家を捜しはじめました。
 むろん、こういう仕事は伝六の役目で、またたくうちに当の住まいを見つけてまいりましたから、近寄って一見すると、だがこれが少し不思議です。お約束どおりの、舟板べいで見越しの松でもがあるかと思いのほかに、ただの町家で、それがまた、ついこのごろ建てたらしい新普請の、しかし人けは少ないらしい一構えでしたから、右門はややしばしなにごとかをうち案じていましたが、ふいっとまた伝六の目をぱちくりさせるような行動を開始いたしました。というのは、さっさと道をもとへ引き返してくると、むやみにぐるぐると、そこらあたりを回りだしたのです。それも、あっちの町へいったり、こっちの路地奥へいってみたり、しきりと何かを捜しているようなあんばいでしたが、三つめ小路の横かどに、按摩《あんま》灸針《きゅうしん》、吉田|久庵《きゅうあん》と看板の出ていた一軒を発見すると、ようやく見つかったといったような顔つきで、おどろき怪しんでいる伝六をしりめにかけたまま、ずかずかとそれなる家へはいってゆきながら、不意に横柄《おうへい》な口調で尋ねました。
「亭主はいるか」
「へえい、ここにひとりおります」
「ひとりおればたくさんだ。きさまが看板主の久庵か」
「へえい、さようで」
「でも、目があいているな」
「目あきじゃ按摩をしてならぬというご法度《はっと》でもあるんですか」
「へらず口をたたくやつじゃな。わしは八丁堀の者じゃ。隠しだてをすると身のためにならぬから、よく心して申すがよいぞ」
「あッ、そうでござんしたか。ついお見それ申しやして、とんだ口をききました。ときどき針の打ち違いはございますが、うそと千三つを申しあげないのがてまえの身上でございますので、だんながたのお尋ねならば、地獄の話でもいたします」
「いう下から地獄の話なぞと申して、もううその皮がはげるじゃないか。うち見たところ正直者らしゅうはあるが、なかなかきさまとんきょう者じゃな」
「へえい、さようで。それもてまえの身上でございますから、よく町内のお茶番狂言に呼ばれます」
「お座敷商売の按摩だけあって、口のうまいやつじゃ。では、相尋ぬるが、そこの二つめ小路に、このごろ吉原から根引きされた囲い者がいることを存じおるじゃろうな」
「へえい、よく存じおります。むっちりとした小太りで、なかなかもみでがございますよ」
「やっぱりそうか。にらんできたとおりじゃったな」
「え? にらんできたとおりとおっしゃいますと、どこかでだんなは、てまえがあの家へ出入りすること、お聞きなさったんでござんすか」
「くろうと上がりの女は、どういうものか女按摩より男按摩を好くと聞き及んでいたから、きさまの家の表に吉田久庵と男名があったのをみつけて、ちょっと尋ねに参ったのじゃ」
「さすがはお目が高い、おっしゃるとおりでござんすよ。このかいわいをなわ張りの女按摩がござんすのに、ご用といえばいつもこの老いぼれをお呼びですから、男は死ぬまですたりがないとみえますよ」
「むだ口をたたくに及ばぬ。家内は幾人じゃ」
「ふたりと一匹でございます」
「一匹とはなんじゃ」
「ワン公でございます。それもよくほえる――」
「亭主は何歳ぐらいじゃ」
「四十五、六のあぶらぎった野郎――と申しちゃすみませんが、人ごとながら、あんなべっぴんにゃくやしいくらいな、いやな男ですよ」
「商売はなんじゃ」
「上方の絹あきんどとか申しやしたがね」
 予期しなかった一語を聞いたものでしたから、同時に右門の目がぴかりと光りました。これはまた光るのが当然なんで、甲州の絹商人とか、伊勢崎《いせざき》の銘仙《めいせん》屋とかいうのなら聞こえた話ですが、上方の絹商人とはあまり耳にしないことばでしたから、早くもいっそうの疑いを深めて、さらに屋内の様子を尋ねました。
「それなる亭主は、いつごろ在宅じゃ」
「さよう――ですな、夜分はいるようですが、昼のうちはたいてい不在のようでございますよ」
「そうか。では、すずりと紙をかしてくれぬか」
 求めた二品を受け取ると、右門は即座にさらさらと次のような文面を書きしたためました。
「――事急なり。会いたし。かどのすずめずしにてお待ちいたす。清の字」
 だが、書きおわるとややしばらくなにごとかをうち案じていましたが、すぐとまたそれを引き破くと、あらためて久庵に命じました。
「いや、おまえの口からじかに言ってもらおう。心きいた女ならば、偽筆ということ看破しないともかぎらないからな。あの家へいって、もしいま亭主がいないようだったら、女にこっそりというんだぞ。清吉さんから頼まれての使いだが、あそこのかどのすし屋で待っているから、ちょっくら顔を貸しておくんなさいとな。もし、そのとき女が清吉の人相をきいたら、二十三、四の小がらな男だというんだぞ。――いいか、そら、少ないがお使い賃じゃ」
 小銀を一粒紙にひねって渡したものでしたから、何もかせぎと思ったものか、目あき按摩の久庵はほくほくしながら駆けだしました。
 さて、もうここまで事が運べば、それなる達磨《だるま》を好いた花魁《おいらん》薄雪の来るか来ないかが、右門の解釈と行動の重大なる分岐点《ぶんきてん》です。彼女が清吉の名による呼び出しにすぐにと応ずるぐらいだったら、あれなる若者を苦しめて縊死《いし》を決行させるにいたった原因は、あの疑惑中の人物上方の絹商人ひとりにあるに相違なく、もしまた彼女が今の呼び出しに応じないで、少しでも清吉という名まえから逃げのびようとするけはいがあったら、断然女も上方の絹商人と同腹にちがいないと思われましたものでしたから、そのときはこう、このときはこうと、それぞれに対する成案をたてておいて、静かに右門はすずめずしの二階で、今の使いの結果を待ちうけました。
 すると、まもなくのことです。
「おへやはどちら?」
 なまめかしい声に胸のはずみを現わして、そこに姿をみせたものは、だれならぬ問題の女、薄雪その人でありました。薄雪は清吉とは似てもつかぬ右門主従がそこに居合わしたものでしたから、はいりざま少しぎょっとなって狼狽《ろうばい》の色をみせましたが、右門は女が清吉という名をきいて、胸をはずませながらとぶように駆けつけた事実から、身請けの主の絹商人とは同腹でないことをまず知りましたので、それならばと思いながら、源氏名薄雪といったそれなる女が、はたしてどんな人がらのものであるか、その点から観察の歩をすすめてまいりました。
 ところがひと目見ると、これがまたどうして、なかなかたいへんな美人なのです。この種の商売人上がりの美女を形容する場合、おおむね世上では窈窕《ようちょう》という文字を使いますが、しかしそれなる薄雪にかぎってはその名の示すとおり窈窕は不適当で、むしろ玲瓏《れいろう》としてすがすがしい玉をのぞむような美しさでありました。そのすがすがしさがまたくるわの水でみがきあげたすがすがしさなんだから、普通一般の清楚《せいそ》とかすがすがしさといったすがすがしさではなく、艶《えん》を含んでかつ清楚――といったような美しさのうえに、そったばかりの青まゆはほのぼのとして、その富士額の下に白い、むっちりともり上がった乳をおおっている浜|縮緬《ちりめん》の黒色好みは、それゆえにこそいっそう艶なる清楚を引き立てていたものでしたから、同じ遊女のうちでもこんなゆかしい品もあるかと、ややしばらく右門もうち見とれていましたが、かくてはならじと思いつきましたので、こういう女の心を攻めるにはまた攻める方法を知っている右門は、ずばりと、いきなりその急所を突いてやりました。
「まだ存じまいが、そなたの好いている人は、ゆうべ首をくくりなすったぞ」
「ええ! あの、清、清さんは死になましたか!」
 よほどの深い愛情を今も清吉に寄せているとみえて、薄雪は右門のことばを聞くと、もうすでにおろおろとしながら地ことばと里ことばをまぜこぜにして、身も世もあられないような驚愕《きょうがく》を見せたものでしたから、右門はここぞと、隠されているなぞをあばくべく、徐々に女の心をつかんでいきました。
「だから、そなたはこれからどうなさる?」
「知れたこと、二世かけて契った主さんでござりますもの、わちきもすぐと跡を追いましょう」
「では、なんじゃな、そなたも二世かけて契った主さんというたが、今のおつれあいはいっしょにいても、ほんとうにただのでくのぼうじゃというのじゃな」
 すると、女はしまったというような色をみせて、つい驚きのために言いすぎたおのれの失言を後悔するかのように、極度な困惑の情を現わしたものでしたから、なんじょう右門ののがすべき、すぐに追いつめました。
「くどうはいわぬ。わしも多少は人に知られた男のつもりじゃ。いったんこうとにらんで乗り出した以上は、どのようにしてもそなたたちのために尽くしてみようと思うが、どうじゃ。何もかも隠さずにいうてみぬか」
「でも、そればっかりは……」
「だれであってもいえぬというか」
「はい……これを口外するくらいならば、わちきはもうひと思いに死にとうござります」
 隠されている秘密は、一身上にとってよほどの重大事ででもあるのか、女も前夜の清吉同様、がんとして口外すまじきけしきを示したものでしたから、当然右門も困惑に陥るべきはずでしたが、しかし右門にはいくつかの右門流があります。最初は清吉を死んだことにしておいて、急所をついたが、こうなるうえはもう一度生き返して、秘密のなぞを物語らしてしまおうと思いつきましたものでしたから、不意に莞爾《かんじ》とするや、ごくこともなげにいいました。
「では、こちらから先にほんとうのことをいってやろう。清吉さんはてまえが救い出して、まだぴんぴんしていなさるぜ」
「えッ。まあ、あの、それは、ほんとうのことでござりますか!」
 果然、二度めの薬がきいて、薄雪は目を輝かしだしたものでしたから、右門はさらに第三服めの薬を盛りました。
「だから、そなたも、もう隠さないで何もかもお打ち明けなさったらどうでござる。むやみと自慢たらしく自分の名まえを名のりたくはないが、むっつり右門といえばわしのことじゃ」
 まあ! というように目をみはって、すでに薄雪もその名声には知己であるかのごとく、しげしげと右門の面を見直していましたが、並びのよろしい白い歯をかすかにのぞかせながら、こころもち微笑を含んだ右門の顔は、今にしていっそう男性美を増したごとく凛々《りり》しい美丈夫ぶり
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