くだんの若者にとっては右門のたのもしそうなその一言は、なおさら心魂をゆりうごかしたことだったでしょう。もうたまらないといったように、わっとそこへ男泣きにくずれ伏しましたものでしたから、すかさずに右門が、なおいっそうのたのもしさと侠気《きょうき》とを言外に含めて、男の悲しみと苦痛を、その大きな胸へ抱き包むように尋ねました。
「もうよい、もうよい。わしという人間がどういう人がらの男であるか、それがわかってのことであろうから、もう泣くのはよして、かくさずに胸のうちを物語ったらどうじゃ」
しかし、男は嗚咽《おえつ》をつづけたままで、ただ身をよじるばかりでありました。告白するのが身の恥辱となるような内容ででもあるのか、それとも口外してはならぬようなことがらででもあるのか、じっと歯をくいしばるようにして、男泣きに泣きつづけながら、いつまでも子細を物語ろうとしなかったものでしたから、たいていの者ならばせっかく命を救ってやったのにと思って、いいかげん腹をたてるところでしたが、しかし口外せねば口外しないで、右門にはまた右門にのみ許された手段と明知という鋭い武器があります。しかも、それがまた右門にとってはまことによい偶然でしたが、身をよじって泣き入っているうちに、ふと男の懐中からはみ出して、はしなくも今いった右門のその鋭い明知の鏡に、ちらりと映った一品がありました。それも尋常一様の品物ではなく、一見して女の持ち物であったことを物語るなまめかしい紙入れでしたから、なんじょう右門のきわめつきの鋭知がさえないでいられましょう。さては女出入りが原因だなと、ただちにだいたいのめぼしがついたものでしたから、すばやく片手を伸ばすと、奪いとるようにして取り上げながら、鋭く若者にいいました。
「こんな品物、何用あって冥途《めいど》まで持参するつもりじゃった」
「あッ。いけませぬ! いけませぬ! そればかりは、どなたにも見られてはならぬ品でござりますから、お手渡しくださりませ! お手渡しくださりませ!」
取られたことをはじめて気がついて、若者がにわかにおどろきうろたえながら、必死に奪い返そうとしたものでしたから、いっそう疑惑のつのった右門が、どうしてそれを許すべき――。少し手荒なしうちとは思いましたが、この一品になにもかも事の子細の秘密がかくされていると思いましたので、十八番の草香流をちょっと用いて、なるべく痛くないように、だがけっして抜き取ることのできないように、術をもって若者の両手をおのがひざの下に敷いておくと、すばやく紙入れを改めました。
けれども、予期に反して、その紙入れの中にはただ一本の銀かんざしがだいじそうに忍ばされてあるばかりでした。何か子細をかぎ知りうるような女からの艶文《つやぶみ》だとか、ないしはまた誓紙証文とでもいったようなものでもありはしないかと、心ひそかに予期していたのでしたが、ただ一本銀のかんざしがすべてのなぞを物語っているように、奥深く隠されてあったばかりだったのです。だか、その銀かんざしがなみなみの品ではないので、珍しい紋がきざまれてありました。達磨《だるま》の紋です。師僧|般陀羅《はんだら》の遺示により、はるばるインドから唐土に渡って、河南のほとり崇山に庵室《あんしつ》をいとなみながら、よく面壁九年の座禅修業を行ないつづけたと伝えられている、あの達磨禅師をかたどった紋様です。
およそ何が珍しいといっても、おきあがりこぼしの達磨を紋にしておくような変わったかんざしもまれでしたから、早くも右門は明知の鋭さをそこに現わして、ひざに敷いている若者の心をえぐるようにいいました。
「よし、もうなにもかもあいわかったから、そなたの秘密をこのうえ聞こうとはいわぬが、そのかわり爾今《じこん》けっしてさきほどのような人騒がせのまねはせぬと誓約するか。さすれば、必ずともにわしがそなたの相談相手となってしんぜるが、どうじゃ」
いかなる難解の事件も、いかに秘密の堅い殻《から》に包まれたできごとであっても、いったん八丁堀のむっつり右門がこれに手を染めた以上は、あくまでも解決しないではおかぬといったように、侠気《きょうき》とたのもしさとをその目に物語らせながら、ぎろり若者の面を見すえたものでしたから、ようやく男も安心と決意がついたのでしょう。おろおろして、嘆願するように念を押しました。
「では、ほんとうにもう、てまえに子細をきかぬとお約束してくださりまするか」
「男の一言じゃ、くどうきかぬというたら断じてきかぬ」
「ありがとうござります。それならば、けっしてもうわたくしも、あのようなバカなまねはいたしませぬ」
「よしッ。では、この紙入れもそなたに返してつかわすによって、しっかり残り香なと抱き締めて、もうやすめ」
いちばんの懸念だった自殺のおそれがないと
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