このところずっと半死半生の病人でしたよ」
「どんな科《とが》でそんなに責められたのか、耳にしていることはないか」
「あっしどもは下人だから詳しい様子は知りませんが、密貿易をやった仲間がまだ三、四人とか御用弁にならないのでね、そいつらのいどころを吐かせるためにお責めなすったとかいいましたがね」
耳よりなことを聞いたものでしたから、右門の活気づいたことはもとよりのことで、ただちに昨夜まで禁獄中だったという病人たまりへやって行くと、ちらりと中の様子をのぞいていたようでしたが、不意に莞爾《かんじ》としながら伝六にいいました。
「なんでえ、ぞうさのねえことじゃねえか。おめえがちっとこれから忙しくなるぜ」
「えッ! じゃ、もうほしがついたんですかい」
「おれがにらみゃ、はずれっこはねえや」
「ありがてえッ。じゃ、すぐにひとっ走り出かけましょうが、方角はどっちですかい」
「まあ、そうせくなよ。こうなりゃもうこっちのものだから、あばたの大将にさっきの礼をいってけえろうじゃねえか」
皮肉そうににやにやと笑いながら、牢番詰め所の中へはいっていったと見えましたが、そこにあばたの敬四郎が必死のあぶら汗を流して、ゆうべ当直だった三人の牢番を吟味にかけながら、証跡収集に目の色変えているのを見ると、きわめていんぎんな先輩への礼をとりながら、ごく静かにいったことでした。
「お暑い中を、ご心配なことでござりますな。では、お先に失礼」
何かののしろうとしてつっ立ち上がりながら、二足三足追っかけてまいりましたが、右門はもうそのとき白扇で涼風を招きながら、さっさとお牢屋敷の表門を往来へ踏み出しているときでありました。
しかし、出ると同時に、伝六へいったもので――。
「さ、きさまは非人をあげてくるんだ」
「非人――? 非人が何かこの事件《あな》にからまっているんですかい」
「じゃ、きさまは、あそこに清め塩の盛ってあったことも気がつかなかったんだな」
「そんなものが、どこにござんした?」
「病人たまりのこうし口に、ちゃんと盛ってあったよ」
「するてえと、ゆうべあそこから死骸《しがい》になって、かつぎ出されたものがあったんですね」
「まずそんなところさ。一つ屋根にいた者に死んで出られりゃ、いくら科人《とがにん》どもだってあんまり縁起のいい話じゃねえんだからな。どやつか牢番に鼻薬をかがして、清め塩を盛らしたんだろうよ」
「じゃ、破牢罪人の野郎め、そのすきになんか細工をしやがったんですね」
「穴も掘らず、壁も破らずに破牢したっていや、牢役人どもとぐるでのことか、でなきゃ死骸を運び出すときに細工したとしか、にらみようがねえじゃねえか。聞いてみりゃ、足腰も立たねえほどな半病人だったというから、なおさらこいつは腕ずくの破牢じゃねえよ」
「ちげえねえ! 神さまにしたって、だんなほど目はきかねえや、あそこの係りの非人どもは、日本橋のさらし場にいるはずだから、じゃ、ひとっ走り行ってきますからね。どっちへしょっぴいてまいりましょうね」
「八丁堀へつれてきなよ」
命じておくと、右門は伝六とたもとを分かって、ただちにお牢屋づきの官医、玄庵《げんあん》先生のお組屋敷へたち向かいました。にらんだごとくに、病囚人が死骸となって、定法どおり非人に下げ渡されたとしたら、必ずやその以前に玄庵先生の手を通じていたはずでしたから、事実の有無を確かめてみようというのがその第一の目的でしたが、それとともに、もう一つの目的は、破牢罪人も病人たまりにいた以上、少なくも両三度ぐらいは玄庵先生のおみたてにあずかっているに相違ないので、敬四郎のいこじのために知ることをえなかったそれなる罪人の人相風体を、からめてからかぎ出そうという計画のためでした。
3
計画はとどこおりなく運ばれて、玄庵先生は気軽に右門を請じ上げましたものでしたから、ただちに目的の中心へ触れていきました。
「ちょっと承りたいことがありまして参じましたが、もしや、ゆうべ伝馬町の平牢から、死人となって出た者はござりませなんだか」
「ああ、ありましたよ、ありましたよ。まだ宵《よい》のうちじゃったがな。もう長いこと労咳《ろうがい》でわしがめんどうみていた無宿者の老人が、急にゆうべ変が来たというて呼び迎いに参ったのでな。行くにはあたるまいとも存じたが、役儀のてまえそうもなるまいから、検診してさっそく非人どものほうへ下げ渡させましたわい」
「そのとき、なんぞお気づきのことはござりませなんだか」
「さようのう。死因はたしかに病気じゃったし、ほかに不審とも思われた節はないが、身寄りもない無宿者に、だれがそんな手回しのいいことをしたものか、棺にして運び出したようでござりましたよ」
「え? 棺でござりましたとな!」
「さよう、それもふたり分ぐらいはゆ
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