にもほどがあるじゃござんせんか! とっくにもうお番所だと思いましたから、あっしゃご不浄の中までも捜したんですぜ。なにをそんなところでやにさがっていらっしゃるんですか!」
べつにやにさがっていたわけではないのですが、どうせご出仕しても、また一日控え席のすみっこであごのひげをまさぐっていなければなるまいと思いましたものでしたから、てこでも動くまいというように、ふり向きもしないでうずくまっていると、しかし伝六は不意にいいました。
「さ! ご出馬ですよ! ご出馬ですよ!」
いつも事をおおげさに注進する癖があるので、ふだんならば容易に伝六のことばぐらいでは動きだす右門ではなかったのですが、長いことしけつづきで気を腐らしていたやさきへ、突然出馬だといったものでしたから、ちょっと右門も目を輝かして色めきたちました。
「何か事件《あな》かい」
「事件かいの段じゃねえんですよ。お番所はひっくり返るような騒ぎですぜ」
「ほう。そいつあ豪儀なことになったものだな。三つ目小僧のつじ切りでもあったのかい」
「なんかいえばもうそれだ。いやがらせをおっしゃると、あっしだけでてがらしますぜ」
「大きく出たな。そのあんばいじゃ、おれが出る幕じゃねえらしいな」
「ところが、おめがね違い、足もとから火が出たんですよ。ね、平牢《ひらろう》にもう半月ごし密貿易の科《とが》で、打ち込まれていた若造があったでがしょう」
「ああ、知ってるよ。長崎のお奉行《ぶぎょう》から預かり中の科人《とがにん》だとかいってたっけが、そいつがくたばってでもしまったのかい」
「しまったのなら、なにもお番所の者がこぞって騒ぐにはあたらねえんだがね、そやつめが運わるくあばたのだんなのお係りだったものだから、かわいそうに毎日の痛め吟味でね、尋常なことではそんなまねなんぞできるからだではねえはずなのに、どうやってぬけ出やがったものか、まるきり跡かたも残さねえで、ゆうべ消えてなくなっちまったんですよ」
「破牢《はろう》したのか」
「それがただの破牢じゃねえんですよ。牢番の者が三人もちゃんと目をさらにしていたのに、いつのまにか消えちまったっていうんだからね、もうお番所は上を下への騒ぎでさあ」
「じゃ、むろんあばたの大将おおあわてだな」
「おおあわても、おおあわても、血の色はござんせんぜ。なんしろ、よそからの預かり者を取り逃がしたんだから、事
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