ょうかぎりあっしにおいとまをくだせえまし……そして、そして、早くだんなも美しい奥さまをお迎えなさいましよ。なにより、それがあっしの気がかりでござんすからね。草葉のかげでお待ちしましょうよ……」
面に真情あふれた一句一句に、したたか右門も心を打たれながら、しばらくじっと伝六のくやしさに嗚咽《おえつ》するその男涙をうち見まもっていましたが、しかし右門はつねに右門でありました。不意に、かんからと大笑すると、光風|霽月《せいげつ》な声音でいいました。
「虫けらみたいな了見のせめえ野郎を相手に、刺し違えたってしようがねえや。それより、はぜつりにでもいこうぜ」
「えッ。じゃ、じゃ、だんなはどうあっても、あっしにおいとまをくださらないんですかい!」
「あたりめえだ。非人を横取りされたからって、なにもまだ勝負に負けたわけじゃねえんだからな。品川辺へでも夕づりに出かけようよ。ざらにつれるさかなだから、みんな小バカにしているようだが、秋口のはぜのてり焼きときたら、川魚みたいでちょっとおつだぜ」
「でも、そんなのんきなまねをしなすって、もしあばたの野郎にてがらされっちまったら、だんなまでがいい恥さらしじゃござんせんか」
「負けたら恥っさらしかもしらねえが、寝棺で破牢した手口なんぞから見るてえと、このほしゃあばたのやつの知恵だけじゃ、ちっともてあますかもしれねえよ。どうやら、向こうのほうが一枚役者が上のようだからな。知者は寝て暮らせといってな、そのうちにまた何かおれでなくちゃ判断のつかねえようなことが起きるかもしれねえから、大船に乗った気で、ゆっくりはぜつりでもするさ」
「そうでござんすか、じゃ、ついでにあの変な立て札をもってきて、お目にかけておきゃあようござんしたね」
すると、不意に伝六が、右門のそのことばではからずも思い出したといったように、変な立て札といったものでしたから、おれでなくちゃ判断がつかねえと、みずから折り紙をつけた右門のその別あつらえな明知が、突然ぴかぴかとさえ渡ってまいりました。
「なんじゃい、なんじゃい。いま変なこといったが、その立て札とかいうやつは、どこにあったしろものじゃい」
「なあにね、日本橋のたもとに立っていたやつを、来がけにちらりと見たんですがね。文句は忘れちまいましたが、おかしな符丁を書いてあったんで、ちょっと妙に思っているんですがね」
「どんな符丁だ
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