いては、最もこの村正の作刀が忌みきらわれた絶頂だったのです。なぜ、あれほどの名刀がそんなにも嫌忌《けんき》されたか、この話の中心ともなるべきものでございますから、簡単にその理由を説明しておきますが、いくつか説のあるうちで、今に最もよく喧伝《けんでん》されているものは、すなわち、あの村正の妖刀説《ようとうせつ》です。その説をなすものの言によると、本来刀を打つ要諦《ようてい》は、身を守るために鍛えるのが主であって、人を切ろうという鍛法は従であるのに、どうしたことか初代の千子院村正《せんじゅいんむらまさ》が切る一方の刀ばかりを打つので、とうとう師の正宗が涙を奮ってこれを破門したところ、今度は村正がそれを根にもって、では師匠正宗すらもしのぐほどな刀を鋳ようと、ひたすら切る一方の刀を打ったために、いつしか妖気と殺気がその作刀に乗りうつって、そのためこれを腰にする者はつい血を見たくなったり、人を切りたくなったりするというのが、いわゆるその妖刀説ですが、しかし、これは村正の刀があまりによく切れすぎるのと、その刀相に一抹《いちまつ》の妖気が見られるところから、いつだれがこしらえたともなくこしらえた伝説で、ほんとうの因縁いわれは、徳川の始祖、すなわち神君|家康《いえやす》が、ひどくこの千子院を忌みきらったからのことなのです。なぜ、それほどにきらったかというに、祖父|清康《きよやす》が天文四年尾州|守山《もりやま》の陣において、阿部弥七郎《あべやしちろう》なる者のために、この村正をもって袈裟《けさ》がけの一刀をうけ、弥七郎の帯びていた村正によって、清康の子|広忠《ひろただ》、すなわち家康の父がまた天文十四年に、その家臣の岩松|八弥《はちや》なる者に股《また》を刺され、本人の家康また関ガ原の陣において、これは別な村正でしたが、同様千子院作の槍《やり》のために指を突かれ、さらにその長子|岡崎三郎信康《おかざきさぶろうのぶやす》なる者が、父家康の怒りにあって自刃したとき、これを介錯《かいしゃく》した天方|山城守《やましろのかみ》の一刀がやはり村正の刀だったというところから、数代重なったこの不思議きわまる因縁に権現さまともいわれた家康がすっかりと縮み上がって、自今村正作の打ち物類は見つかりしだい取り捨てるべし、というご禁令をお納戸方《なんどがた》に向かって発したものでしたから、それがいつしか村正の嫌忌される原因となり、二代三代はもとよりのこと、四代五代の村正作でも、およそ村正と名のつく打ち物類はことごとく忌みきらわれるにいたったのです。
 しかも、それを嫌忌した者はただに徳川一族の者ばかりではなく、外様《とざま》又者の類までが、もしこの作を手に入れたときは、徳川への恐れと遠慮のために、その銘をすりつぶして佩用《はいよう》するといったような当時のご時勢でしたから、又者までもがそうであるのに、江戸へ親藩筋の松平家が宗家の忌みきらう村正を蔵するはふつごう中のふつごうなので、さればこそ、石川杉弥は刀を盗まれたといってもその銘は秘し、そして、そのなにものであるかを右門に言い当てられたとき、かくぎょッとなってあたりを見まわしたしだいでしたが、慧眼《けいがん》右門には杉弥のそのわずかな動作だけで、早くもいっさいのことが推定されましたから、ここちよげにうち笑《え》むと、力をつけるように杉弥へいいました。
「いや、ご懸念は無用でござる。そなたがなにゆえきょうが日まで、密々にそのような詮議《せんぎ》のご苦心をなさったか、なにゆえまた今のようにかくお驚きなさったか、すべてはてまえにもとっくりと判明してござるから、いったん耳に入れた以上は、拙者も近藤右門、こよいからさっそくそなたのおてつだいをしようではござらぬか」
「すりゃ、あの、わたくしめにお助勢くださるとおっしゃるのでござりまするか!」
「さよう、二日《ふつか》とたたないうちに、きっとそなたのご心配は取りのけてしんぜましょうよ」
「ありがとうござります、ありがとうござります。あなたさまのお助力をうければもう千人力、やっぱりご相談に上がってよいことをいたしました」
 しばしがほどは面すらもあげえないで、ただ感激にうちふるえていましたが、ようやくあでやかさをましてきたその美しい顔に感謝の色をみせると、石川杉弥は水色|絖《ぬめ》の小姓ばかまに波を打たせながら、こっそり深夜の表へ消え去っていきました。

     3

 かくて、いよいよむっつり右門の義によって奮いたった第七番てがらの端緒につくことになりましたが、第一にまずかれの目がけたところは江戸の剣術道場でありました。というのは、あの新墓の死に胴切りについて検分したところによると、その切り口のすばらしくあざやかなところから案ずるに、必ずやわざものは世に名をとった銘刀で、腕もま
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