、しかし相手は折り紙つきのむっつり右門でしたから、ちらりとそれを横目に見流しただけで、至極さばさばとした顔をしながらくるり伝六のほうへ向き返ると、くすくす笑いわらい、いたってあっさりといいました。
「おどろいたかい」
「ちえッ。あんまり人をいじくりなさんな。あっしゃもう無我夢中で少し腹がたっているんですよ」
「じゃ、お由さん、まだ二、三本手紙が残っているようだから、このかわいそうな気短者に、おまじないの種をみせてやっておくんなさいな」
応じて、お由が残った中から一本をとって伝六のほうへ投げやったものでしたから、取る手おそしと封を切りながら、目を吸いよせられて読み下したようでしたが、同時におもわず伝六はあッと叫びました。――書中には次のごとき文書がかきしたためてあったからです。
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――いつぞやは深川八幡境内にてご難役お頼み申し深謝このところにそうろう。おかげにて、あれなる浪人者は望みどおりの結果とあいなりそうらえば、それにつき改めてお礼の品なぞさし上げたくそうろうあいだ、こよい五つ半までに日本橋たもとへお越しくだされたく、右要用まで。いつぞやお頼みの者より。
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――これではいかに伝六がうっそりといえども、はっきりと右門のいぶかしかった今までの行動が読めたものでしたから、額をたたかんばかりにしていいました。
「なるほどな。さすがだんなのやることだけあって、芸がこまかいや。じゃ、なんですね、このおまじないをおとりに使って、まずあのときの八卦見の野郎をおびき出そうというんですね」
「あたりめえよ。人相とか年かっこうでもわかっていりゃ、こんなまわりくどい捨て石なんか打たなくたっていいんだが、ただ深川の八幡にいた八卦見といっただけじゃ、どうせあいつらは渡り者なんだもの、どれがどいつだかわからんじゃねえか。だから、きょうだけの捨て石じゃ獲物がかからねえかもしれないよ。江戸にいる八卦見の数は、あれっぽちじゃねえんだからな」
「その心配ならだいじょうぶ。おらがだんなのやるこっちゃござんせんか。いますよ、いますよ。きっとあの十二匹のうちにいますぜ。それに、渡り者といったって、あいつらにもなわ張りはあるんだからね。思うに、あっしゃ深川の境内に今もまだいるんじゃねえかという気がするんですがね」
「そうばかり問屋でも卸すめえさ。――だからねえ、お由さん、あんたも今の話で、あっしどもがなにしているか、もうおおかためぼしがついたでしょうが、場合によっちゃ、まだ二、三日あんたの例の早わざをお借りしてえんだからね。当分おてつだいをしてはくださるまいかね。ごらんのようなひとり者で、家の人数といっちゃあ、そこのお勝手にいるお静坊とあっしきりなんだから、寝言をいおうと、さかしまにはい出そうと、ご随意なんだがね。――もっとも、あっしが生身のひとり者なんだから信用がおけねえっていうんなら、そいつあまた格別ですが」
「いいえ、もうだんななら――、だんなのようなおかたのそばでしたら――」
こっちが押しかけてもといわんばかりに、すぐとお由が引き取って、すりなぞ手内職にやっている素姓の者とは見えないような、娘々したはにかみを見せたものでしたから、腕のほうはどじのくせにそのほうばかりはまたやけに気の回る伝六が、たちまちそばから茶々を入れました。
「ちえッ。いい男にゃなりてえもんだな。女のほうから、このとおり、もうたかってくるんだからね」
それにはちょっと右門も顔を赤らめたようでしたが、宵《よい》の五つ半といえばまだだいぶ間がありましたから、名人閑日月のたとえどおりごろりと横になると、ここちよげに午睡の快をむさぼりだしました。
3
かくて、日は愛宕《あたご》の西に去って、暮るれば大江戸は宵の五つ――。五つといえば、昔ながらに江戸の町はちょうど夕涼みのさかりです。虫かごにはまだ少し早いが、そのかわり軒端《のきば》の先には涼しい回りとうろうがつるされて、いずこの縁台も今を繁盛に浮き世話のさいちゅうでした。だから、右門も涼みがてらにゆかたがけかなんかで出かけそうに思われましたが、しかし出てきた姿を見ると、昼のままの長いやつをおとし差しです。したがって、伝六がもも引きたびに十手を内ふところに忍ばしているのは当然なことですが、でもまだ月の初めでしたから、空は星あかりばかりで、そのためよくよく近よって見ないことには、かれらが八丁堀の者であることを見きわめることは、ちょっと困難なよいやみでした。
さればこそ、そのよいやみをさいわいに、大身の若殿が供をつれて夕涼み、といったように見せかけながら、指定しておいた日本橋の橋たもとにたどりつくと、はたして、むくどりや来たるとばかり、目を八方に配りながら、ぶらぶらとその辺を逍遙《し
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