いかねえんだから、人見知りはしておきたいものだね。実あ、お由さんの今のあの器用な腕まえをちょっとばかり見込んで、特にお頼みしてえことがあるんだがね」
「えッ……。だんながあたしに……?」
「さよう。そのために、この暑いさなかをわざわざ八丁堀から出張ったんですがね」
「まあ、近ごろうれしいことをおっしゃいますわね。そう聞いちゃ、あたしもくし巻きお由ですもの、その意気とやらに感じまして、どんなお仕事かひとつお頼まれしてみましょうかね」
「さすがは名をとった人だけあって、わかりがはええや。実は、今のあの器用なまねを逆にやってみせてもれえてえんだがね」
「え? 逆……? 逆というと」
「知れたことじゃござんせんか。ふところに品物をねじ込むんですよ、今のは器用にすり取ったようだがね。逆といや、つまり、あれをあべこべに、ふところへ品物をねじ込むんでさあ。むろんのこと、相手には気のつかないようにね」
「ああ、そんなことなら……」
 お茶の子さいさいですよといわないばかりに、ちょっとお由は考えていましたが、そこにおしゃべり屋伝六がいよいよいでていよいよ奇怪な右門のしぐさに、目をさらにしながらぼんやりとつっ立っていた姿をみると、不意ににっこりと笑いながら近よっていったもので――。
「ね、こちらのだんな。そら、そこのえり首に、大きな毛虫がはってますよ」
「えッ、毛、毛虫? 毛虫……?」
 不意でしたから、悲鳴をあげて伝六が飛び上がったのを、お由は目もとであだっぽく笑いながら制すると、静かにまたいいました。
「いいえ、えりじゃない、ふところですよ」
 と――、なんたる早わざなりしか、さらにうろたえて伝六が懐中に手を入れてみると、今までたしかに日傘の中に忍ばされていたと思われたあのお店者《たなもの》からすり取った紙入れが、もういつのまにか位置を換えて伝六の懐中にねじ込まれていたものでしたから、伝六も二度びっくりしましたが、期したることながら右門の舌を巻いたのも当然で、ついおもわず賛嘆の声を発しました。
「名人わざだ、名人わざだ。さすがは見込んでお頼みに来ただけのものがありますね――じゃ、今の調子で、この品物をねじ込んでもらいますかな」
 そして、いうと、出がけにでもちゃんともう用意してきたものか、ふところから取り出したものは、厳封をした十四、五本ばかりの書面でありました。
「あら! 少しこれじゃ役割がひどうござんすのね。あたしを使って、箱入り娘にでもつけぶみをさせるんでござんすか」
 だから、お由はすぐとそう取って、あたしだってもめったにひけを取らないあだ者ですよ、というように、ちょっと目もとをいろめきたたせましたが、しかるに右門がまずあれに一本と命じた相手は、いうがごとくどこかの箱入り娘ででもあろうと思いのほかに、これはまたなんたる意外ぞや、そこに店を張っていたじじむさい天神ひげの八卦見《はっけみ》だったのです。しかも、右門がお由に例の神わざを命じた相手の八卦見は、そこに居合わしたひとりばかりではないので、あちらこちらと捜しながら境内《けいだい》に居合わした全部で七人の八卦見たちに、一本ずつおまじないを施さしておくと、駕籠《かご》を命じてお由をも従えながら飛ぶように駆けつけさせたところは、神田明神の境内でありました。そこで同じように売卜者《ばいぼくしゃ》を見つけて、また三本ばかりふところにおまじないを施させておくと、さらに駆けつけさせたところは問題の深川|八幡《はちまん》で、その境内に居合わしたふたりの風体よろしくない八卦見たちにも同様に目まぜでお由に命じ、例の一本ずつをふところへ敏捷《びんしょう》にねじこませておくと、右門はさっさと駕籠《かご》を八丁堀へ帰させて、家へ上がるやお由の目をそばだてたのもかまわずに、さっとばかり胸をくつろげながら、わだかまりなくいったものでした。
「おう、暑い! 見る者はあっしとこの伝六ばかりだから、ご遠慮なくお由さんも薄着におなんなせえな」
 おなんなせえなといったって、なにをいうにも若い男をふたりも目の前にしてのことなんだから、冗談にもそんなだいそれた薄着なんぞになれるものではないのだが、蒸し返すような炎熱はがまんにもしんぼうができなかったとみえて、それにその筋のおだんな衆がちゃんとそばについていて、いいというお許しが出たものだから、ついお由も心がゆるんだものか、水色麻の長じゅばんをなまめかしくちらちらさせると、くつろげるともなく胸のあたりを少しばかりくつろげました。――むろん、雪のはだえは瑠璃色《るりいろ》にしっとり湿気を含んで、二九まさるはたちばかりの今ぞ色濃き春のこころは、それゆえにひとしおあだめかしい髪のくし巻き姿とともにいちだんのふぜいを添えて、魂までもあの世の遠くへ抜け出ていきそうななまめかしさでしたが
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