ると、腰なる用意の横笛を抜きとって、型のごとくにまず音調べをいたすべく、その息穴へやおらしめりを与えました。すると、ひとなめ牛若が息穴をなめたとたんです。笛てんかんというのもおかしいですが、生まれつきのてんかん持ちででもあったか、それとも人出にのぼせたものか、稚児輪《ちごわ》姿《すがた》の牛若丸が笛にしめりを与えると同時に、突然|苦悶《くもん》のさまを現わして、水あわを吹きながら、その場に悶絶《もんぜつ》いたしました。しかも、悶絶したままで、容易に起き上がるどころか、みるみるうちに顔色が土色に変じだしたものでしたから、まず武蔵坊《むさしぼう》弁慶が先にあわてだし、つづいて屋台のはじにさし控えていた町内の者があわてだすといったぐあいで、はからずも騒ぎが大きくなりました。
 だから、家光公がけげんな顔をあそばして、かたわらにさし控えていた松平伊豆守を顧みながら、不審そうに尋ねました。
「のう、伊豆、絵物語なぞによっても、牛若どのはもっと勇者のように予は心得ているが、あのように弱かったかのう。見れば、弁慶の顔を見ただけで卒倒いたしおったようじゃが、世が泰平になると、牛若どのにもにせ者が出るとみえるのう」
 牛若をにせ者ときめてしまったあたりは、なかなかに家光公もしゃれ者ですが、しかし、ここが松平伊豆守の偉物たるゆえんだったのです。なにかは知らぬが、この珍事容易ならぬできごとだなということを早くも見てとりましたから、それには答えないで、さっと立ち上がると、とっさにまず身をもって家光公をかばったもので、同時にことばを強めながら、せきたてるように腰元たちへ下知を与えました。
「なに者かためにするところあって、かような珍事をひきおこしたやも計られぬ。おのおのがたは上さまをご警固まいらせ、そうそうご城中へお引き揚げなさりませい!」
 命じ終わるととっさにまたかたわらをふり返って、お茶坊主をさしまねきながら、さらに知恵伊豆らしい下知を与えました。
「町方席に右門が参り合わせているはずじゃ。火急に呼んでまいれ」
 人物ならば掃くほどもその辺にころがっているのに、事件|勃発《ぼっぱつ》と知ってすぐに右門を呼び招こうとしたあたりなぞは、どう見てもうれしい話ですが、より以上にもっとうれしかったことは、命をうけて茶坊主が立とうとしたそのまえに、ちゃんともう当の本人であるむっつり右門がそこにさし
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