うと小さなお家騒動で、青まゆの女の夫こそは、右門が彼女をご大家のお後室さまとにらんだとおり、いにしえはれっきとした二千石取りの大旗本でありました。しかも、大久保|加賀守《かがのかみ》の血につながる一族で、ちょうどこの事件のあった十年まえ、あれなる青まゆの女を向島の葉茶屋から退《ひ》かして正妻に直したころから、しだいにその放埓《ほうらつ》が重なり、ついにお公儀の譴責《けんせき》をうけるに及んだので、三河侍の気風を最後に発揮して、大久保甚十郎といったその旗本は、当時はまだご二代台徳院殿公のご時世でありましたが、将軍家|秀忠《ひでただ》が砂村先にお遊山《ゆさん》へおもむいたみぎり、つらあてにそのお駕籠《かご》先で割腹自刃を遂げたのでありました。そういう場合のそういう事件を仮借することなしに裁断する公儀のことばは、上へたてつく不届き者という一語に尽きていましたものでしたから、大久保甚十郎一家は、ならわしどおり秩禄《ちつろく》召し上げ、お家はお取りつぶしということになりました。けれども、いったんの怒りはあったにしても、士歴は三河以来の譜代でもあり、かたがた一族中には大久保加賀守のごとき名門と権勢
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