ると、女は銅《あか》の銅壺《どうこ》のふたをとってみて、ちょっと中をのぞきました。そのしぐさだけでもう心得たように、すぐと運ばれたものは切り下げ髪なのに毎晩用いでもしているか、古九谷焼きの一式そろった酒の道具です。それから、台の物は、幕の内なぞというようなやぼなものではない。小笠原豊前守《おがさわらぶぜんのかみ》お城下で名物の高価なからすみ。越前《えちぜん》は能登《のと》のうに。それに、三州は吉田名物の洗いこのわた。――どうしたって、これらは上戸にしてはじめて珍重すべき品なんだから、青まゆの女の酒量のほどもおよそ知られるというものですが、それをまた下戸のはずであるむっつり右門が、さされるままにいくらでも飲み干し、飲み干すままに女へも返杯しましたものでしたから、これはどうあっても伝六として見てはいられなくなったのです。
「陽気が陽気ですからね、およしなさいとはいいませんが、むっつり右門ともいわれるだんなが、酒に殺されちまったんじゃ、みなさまに会わされる顔がござんせんぜ」
 けれども、右門は答えもしないで、しきりとあびるのです。あびながら、そのあいまあいまに、見ちゃいられないほど彼女のほうへしなだれてはしなだれかかり、どうかするとぱちんと指先で女のほおをはじいてみたりなんぞして、いつのまにどこでそんな修業を積んだものかと思えるほどの板についたふるまい方をやりましたものでしたから、事ここにいたっては、酒に目のない伝六のとうてい忍ぶべからざる場合にたちいたりました。
「よしッ。じゃ、あっしも飲みますぜ」
 たまっていた唾涎《すいえん》をのみ下すように、そこの杯洗でぐびぐびとあおってしまいました。まもなく、右門がまずそこに倒れ、そのそばを泳ぐようにはいまわっている伝六の姿を見ることができましたが、そのときはもう夜番の音も遠のいて、江戸山の手の春の夜は、屋根の棟《むね》三寸下がるという丑満《うしみつ》に近い刻限でありました。

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 しかし、翌朝はきのうと反対に、降りみ降らずみのぬか雨で、また返り梅雨《つゆ》の空もようでした。右門主従のその家に酔いつぶれてしまったことはもちろんのこと、ところが目をあけてよくよく気をつけて見ると、どうも寝ているへやがおかしいのです。あかりのはいるところは北口に格子《こうし》囲いの低い腰窓があるっきり。それでもへやはへやにちがいないが、
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