ているところでした。しかし、右門はそれらの面々なぞには目もくれないで、ずいと座敷の中へ上がってまいりました。
「どなたでござる!」
型のごとく身内の者らしい若侍が血相変えてさえぎったのを、右門は用意のあのお手札を示して身のあかしをたてておくと、むっつりとして災難に会った主人のうち倒れている奥座敷へやって参りました。見ると、なるほどうわさにたがわず、あるじは右腕をすっぽりと切ってとられて、あけに染まりながらそこにうめきつづけていたものでしたから、右門は黙って近よると、まずその切り口をとっくりと改めました。よほどのわざ師が、よほどのわざ物で、ただ一刀にすぽりとやったとみえて、いかにも切れ味がみごとです。しかも、主人のまくら刀はそこに置かれたままで、一太刀《ひとたち》も抜き合わしたらしいけはいがなかったものでしたから、右門は聞くのが少しきのどくでしたが、正直に思ったとおりを尋ねました。
「貴殿とて一流のつかい手でござりましょうが、抜き合わす暇のなかったところを見ると、よほど不意を打たれたとみえまするな」
「面目しだいもござらぬ。つじ切りはしても、まさかにこのように夜中寝所まで押し入ろうとは思いもよらなかったゆえ、つい心を許して寝入っていたところを、不意にやられたのでござる」
「しかし、なんぞそのまえほかに気を奪われたようなことはござりませなんだか」
「さよう、たしかにお尋ねのようなことがあったゆえ、ちと不思議でござる。なんでも、何かばりばりとひっかくような音がありましたのでな――」
「なにッ。ばりばりとかく音がござりましたとな! すりゃ、まことでござるか!」
「まこととも、まこととも、真もってまことでござる。その廊下のあたりで、何かこうばりばりとかきむしるような音が耳にはいったのでな、不審と思って、そのほうへつい気をとられた拍子に、あれなるうしろのふすまを不意に押しあけて、覆面の武者わらじをはいたやつが、いきなりおどり入りさま、物をもいわずに、このとおり腕を切りとったのでござるわ」
「ふうむ、さようでござるか。そうするとそろそろほしが当たりかけてきたな」
ばりばりという音がしたといったその一語によって、すでになにものかの推定がついたもののごとく、腹の底から絞り出したようなうめき声を発して、じっと廊下先の障子を一本一本|巨細《こさい》に見まわしていましたが、と――果然、その痕跡《こんせき》があった。歴然としてそこの障子の一本に何かつめでひっかきむしったような紙の破れのあとがあったものでしたから、右門の声は突如として力に満ちながらさえだしました。
「切られたその腕は、どうしたのでござる!」
「え! 腕ですかい。腕なら、だんな、ここにころがってますぜ」
さすが伝六もおひざもとの岡っ引き、さしずをうけないうちに先回りして、犯跡の証拠収集に努めていたものか、右門のことばに応じて、庭先からそういう声があったものでしたから、まをおかずに、やっていってみると、いかにも手首はまっかに血を吹いて、これがつい数分まえに人のからだへくっついていたんだろうかと怪しまれるようなぶきみな姿をしながら、縁側つづきの便所のわきに投げすてられてありました。しかも、ひょっと見ると、そこの便所の白壁になにやらべったりと黒い跡がついていたものでしたから、右門はあかりをとりよせて、なにげなくのぞき入りました。と同時に、さすがの右門も、おもわず少しばかりぎょっとなりました。見ると、その黒い色とみえたのは紛れもなく生き血の色で、さながらやつでの葉かなんかを押したように歴然と、切り取った手首のてのひらの跡が押されてあったからです。のみならず、その手形の下には、同じ生き血をもって、次のごとき文字がはっきりと書きしるされてありました。
――あと少なくも十本はこのように手首ちょうだいいたすべくそうろう。
「おそろしくおちついたやつじゃな」
おもわずうなりながら、じっとそこにころがっている腕首を見改めていましたが、と――不意に、右門の鼻先へぷんとにおってきたえもいわれぬかぐわしい不思議な高いかおりがありました。はてな、と思いましたので、腕首を取り上げて鼻先へもっていきながらかいでみると、いかにも不思議! かつて聞いたこともないようなすばらしく上等の香のにおいがするのです。しかも、あきらかにそれが移り香なんでしたから、右門はあわてて腕を切り取られた当の主人のところへやっていって、それとなく身体をかぎためしました。しかるに、奇怪とも奇怪、その移り香はあるじの身についていたものではないのです。とすると、むろん下手人の身についていた移り香で、ただ一度それをつかんだだけでもこんなにかおりの強く乗り移ったところを見れば、よほど高価な香ということが推察できたものでしたから、もう一度丹念にか
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