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孟春《もうしゅん》四月の半ばをすぎた城下の夜半は、しんとぬばたまのやみに眠って、まこと家の棟《むね》も三寸下がらんばかりな、底気味のわるい静けさでした。あらぬつじ切りのうわさは、城下の町のもののおびえやすい心をいよいよおびえさせたとみえて、行く道はげに死せるがごとく、人っ子ひとり見かけない寂しさでした。――その寂しい大路小路を、どうしたことか、右門はわざとちゃらちゃら雪駄の音を特別高くちゃらつかせて、ふらりふらりとやって参りました。下手人を捕えようとするなら、少なくも息ぐらい殺していくのが定《じょう》なんですから、だのにことさら高めだした雪駄の音は、どうみても少し不思議なんですが、いかにもそれがなにか自信でもありそうに見えましたものでしたから、何かは知らず伝六もそのとおりまねをしてやっていくと、果然! いや、突然でありました。
「そこのふたり、待てッ!」
叫びながら路地口から飛び出してきて、さッと行く先をさえぎった七、八人の一団がありました。もちろん、おっとり刀で、――だが、右門はおどろくと思いのほかに、さながらそれを心に期したるもののごとく静かに近づいていくと、さびのある声で、鷹揚《おうよう》にいったものです。
「ご苦労でござる。ご異状はござりませぬかな」
「なにッ、ご異状? なれなれしゅう申しおるが、いずこの何やつじゃ!」
いかにも右門のことばつきがつら憎いほどおちついていたものでしたから、おっ取り刀の面々のおこって詰めよったのはあたりまえなことでしたが、しかし右門は綽然《しゃくぜん》たるものでした。
「不審はごもっとも、てまえはこういうものでござる」
静かにいって、そして先ほど城中を退きがけにちょうだいいたしました例の手札を――この者の命令は予の命令と思うべし、松平伊豆守と、釜《かま》のような書き判のある例の一札を、ずいと龕燈《がんどう》の下に突き出して見せましたものでしたから、いやはや、どうもおっ取り刀の面々のめんくらったこと。うへッとばかりに声をそろえながら、塩だらのように堅くなりながら、こちこちとそこへ棒立ちになってしまいました。それをきのどくそうにながめながら、右門は天蓋の中から鷹揚《おうよう》にいいました。
「例のやつをご警戒中と思われまするが、このあたりはどなたのお屋敷つづきでござる」
「はっ、このうち四、五町がほどは、当家中一流のつかい手ばかりがお屋敷を賜わっていますゆえ、例のつじ切りめ腕ききばかりの藩士をねらう由承りましたから、かく宵《よい》のうちから一団となって、このかいわいを警固中にござります」
「それはご殊勝なこと、ずいぶんとごゆだんめさるなよ。では、ごめん――」
いうと、右門はことさらまた雪駄の音を例のように高めながら、ちゃらちゃらと向こう町のやみの中へ消え去ってしまいました。だが、まことに不思議です。二、三十間やっていくと、今まで高かった雪駄の音を突然ころして、ぴたりとそこの築地《ついじ》べいに平ぐものごとく身をよせてしまいましたので、伝六はいぶかって、首をちぢめながらささやきました。
「ね、――あいつが出たんですかい?」
しかし、右門はひとことも答えないで、じっと同じかっこうをつづけていたようでしたが、それから五分とたたないまもなくでした。不意に、やみの向こうの屋敷の中から、けたたましくわめき叫ぶ声が聞こえました。
「おのおのがた、お出会いそうらえ! 例のくせ者が押し入ってござるぞ! お早くお出会いそうらえ!」
それを聞くと、右門ははじめてわが意をえたりというように、ぱんぱんと手についた土ほこりをはたきながら、涼しい声でいいました。
「やっぱり、おれのにらんだとおり、下手人は気のきいた知恵者だよ。警固の者をまんまとやりすごしておいて、そのあとからすぐに裏をかいて押し入るなんてところは、なかなかあっぱれ者だよ」
「なるほどね。どうりで、だんながまたさっきからばかにちゃらちゃらと雪駄《せった》の音をさせると思ってましたが、じゃだんなが、またそやつの裏の裏をかこうとしたんですね」
「そうさ。ああやって、わざと雪駄をちゃらつかせて、いま通ったぞと知らして歩いたら、気のきいた下手人だったら、きっとそのすきに何かしでかすと思ったからな、ちょっとばかり誘いのすきをこしらえてやったのさ。災難に会ったご藩士にはおきのどくだが、おれはまだ一度も手口の現場を見ていないんだからな――どうやら警固の面々も駆けつけたようだから、ではひとつ検分に行くかな」
騒がずにゆうゆうとして、いま声のあった屋敷のほうへ参りましたものでしたから、伝六もすっかり江戸っ子かぜを肩に切りながらあとに従ってまいりますると、案の定、屋敷うちは上を下への混雑で、右往左往とやみの中を、先ほどの警固の者が、下手人いずこと捜しまわっ
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