いでいると、まさにそのときでした。
「くせ者じゃッ。くせ者じゃッ。例のやつめがこちらにも押し[#底本では「り」と誤り]入りましてござりますゆえ、お早くお出会いめされい!」
 不意にまた二、三軒向こうの屋敷の中から、やみをついてそう呼び叫ぶ声がありました。まだこちらの始末がつききらないうちでしたから、居合わした警固の面々のいまさらのごとくに二度青ざめたのはいうまでもないことでしたが、伝六もぎょっとなって、血相変えながら警固の面々のあとを追おうとしましたので、すばやくそれを認めた右門が、おちついた声でうしろから呼びとめました。
「まてッ」
「だって、逃げちまうじゃござんせんか!」
「どじだな。今から追っかけていったって、おめえたちの手にかかるしろものじゃねえんだよ。こっちを騒がしておいて、そのすきに隣へ押し入る大胆な手口だけだって、相手の一筋なわじゃねえしろものってことがわかりそうなものじゃねえか。それよりか、ほら、これをな――」
「えっ?」
「わからんか、な、ほら、ぷんといい女の膚みたいなかおりがするんじゃねえか。おそらく、向こうの手首にもこれと同じ移り香があるにちげえねえから、ちょっといってかいでこい」
「なるほどね。ようがす、心得ました。じゃ、それだけでいいんですね」
「しかり――だが、みんなにけどられねえようにしろよ。騒ぎたてると、ぼんくらどもがろくでもない腕だてをして、せっかくのほしをぶちこわしてしまうからな」
「念にや及ぶだ。あっしもだんなの一の子分じゃごわせんか。どっかそこらの路地口であごひげでもまさぐりながら、待っていなせえよ」
 自分のてがらででもあるかのように伝六が駆けだしたものでしたから、右門は災難に会った一家の者に悠揚《ゆうよう》として黙礼を残しながら立ち去ると、門を出たそこの路地口のところで、いったとおりあごひげをまさぐりまさぐり、伝六のかえりを待ちうけました。まもなく駈けもどってきた伝六の報告によると、果然切り取られた手首には同じ香のにおいがあったばかりでなく、血の手形の跡もばりばりと何か障子をひっかいた手口も、全然両者が同様であるということがわかったものでしたから、もうそれからの右門は例のごとし――いいこころもちにふところ手で宿に引き揚げていくと、すっぽりと郡内かなんかの柔らかいやつをひっかむって、すやすやとすぐに快い寝息をたてだしました。
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