したから、非役のてまえとして、出仕するの必要がありました。けれども、たとい非役であったにしても、このぷきみな怪談を耳に入れて、いまさら出仕などゆうちょうなまねが、なぜにしていられましょうぞ! 手に材料がないだけに、一歩敬四郎に先んじられているだけにいっそう競争意識をあおられましたので、かれは病気のていにつくろって、当分出仕ご免の許しを得ておくと、心を新たにして事件に向かおうと思いたちました。こういうときに、すなわち、心を新たにしようというときに、いつも右門の取る方法は、碁盤に向かうことです。お打ちになられるかたがたはご存じのことと思いますが、心に煩悶《はんもん》の多いときに、ないしはくふうのつかない事件なぞがあるときに、まず端然と威儀を改め、それからおもむろに心気を静めて盤に面し、しかるのちに、あのかぐわしきかや[#「かや」に傍点]の木の清浄なかおりをたしなみながら、ひんやりと手に冷たい石をとりあげて、戞然《かつぜん》と音たてながら打ちこんで行くことは、まことに颯々爽々《さつさつそうそう》として心気の澄み静まるもので、だから右門はちゅうちょなく盤に対しました。腕は職業初段に先というところ――したがって、石の音は真に戞然と高い!
と――まことに人は碁のごとき清戯をも覚えておくものですが、その第一石の石の音が終わるか終わらないうちに、ふと気がついて、右門はおもわず、なんのことだ! そう吐き出すように大きく叫びました。肝心なことに、ほんとうに肝心かなめの肝心なことについて気がつかずにいたことが、ふと思い出されたからです。ほかでもなく、それは首――三晩つづけて胸の上にのっかっていたというその生首の実物を、このときにいたるまで、まだ一度も改めずにいたことが思い出されたからでした。訴えてきた以上は、むろんご番所へその実物を提供してあるにちがいないと思われましたので、右門は気がつくと同時に、一刻を争いながら数寄屋橋《すきやばし》へ駆けつけました。
と――はたしてあった。三個とも厳重に蝋封《ろうふう》を施した箱に入れて、ちゃんとご奉行席のわきに置かれてあったのです。かれはただちに、内見をお奉行神尾元勝に申し入れました。功名はたてておきたいもので、これが普通の与力同心ならば、ごく内密にといったそのことばのてまえ、容易に披見は許されないはずですが、右門の才腕がものをいいました。
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