けようとした。しかし、なぜか思いとまった。そして、入り口の横の板壁《いたかべ》にかけてあった便所用の雑巾を一枚とり、それをたたきの上のバケツの水にひたして、しぼったあと、大河のはいっているのとは反対のはじの大便所の戸をあけ、中にはいった。
 飯島は、それまで、やはり入り口の階段に立って、何かと指図《さしず》がましい口をきいていた。しかし、次郎が雑巾をもって大便所の中にはいったのを見ると、さすがに気がひけたらしく、指図する言葉のはしばしがにぶりがちになり、何かしら気弱さを示していた。
「こんな寒い時には、ぐいぐいはたらくに限るよ。室長なんかになるもんじゃないね。」
 じょうだんめかして、そんなこともいった。ゆうべ各室で就寝前に行なわれた互選《ごせん》の結果、かれは第五室の室長になっていたのである。
 次郎は吹《ふ》きだしたい気持ちだった。同時に、心の中で思った。
(飯島のような人間はとうてい救えない。それにくらべると、田川大作のほうはまだ見込《みこ》みがある。)
 かれは、窓ガラス、窓わく、板壁、ふみ板と、上から下へ、つぎつぎに拭《ふ》きあげて行きながら、おりおりそとをのぞいて飯島の様子に注意していた。そのうちに、飯島は急に何か思い出したように叫《さけ》んだ。
「あっ、そうだ。僕はここだけにへばりついていては、いけなかったんだ。」
 そして、次郎のほうをちょっとぬすむように見ながら、
「第五室は、管理部として全体の責任を負っているんだからね。僕、一まわりして、様子を見て来るよ。」
 飯島は、そう言うと、いかにもあわてたように、あたふたと廊下に足音をたてて去った。
 朝倉先生は、かつて次郎に、「現在の日本の指導層の大多数は、正面からは全く反対のできないようなことを理由にして、自分たちの立場を正当化したがるきらいがあるが、そうしたずるさは、ひとり指導層だけに限られたことではないようだ。たいていの日本人は、何かというと、表面堂々とした理由で自分の行動を弁護したり、飾《かざ》ったりする。しかも、それで他人をごまかすだけでなく、自分自身の良心をごまかしている。それをずるいなどとはちっとも考えない。これはおそろしいことだ。友愛塾の一つの大きな使命は、共同生活の実践《じっせん》を通じて、青年たちをそうしたずるさから救い、真理に対してもっと誠実な人間にしてやることだ。」というような意味のことを、いったことがあったが、次郎は、便所の中から、飯島のうしろ姿を見おくりながら、その言葉を思いおこし、今さらのように、大きな困難にぶっつかったような気がしたのだった。
 飯島の足音がきこえなくなると、小便所の掃除をしていた四人が、かわるがわる言った。
「すいぶん、ちゃっかりしているなあ。」
「何しろ紳士《しんし》だからね。」
「郡の団長なんかやってると、あんなふうになるもんかね。」
「そりゃあ、あべこべだよ。あんな人だから、郡の団長なんかになりたがるんだ。」
「つぎは、そろそろ県会議員というところかね。」
「ふ、ふ、ふ。」
「そういうと、ゆうべの室長選挙も何だか変だったぜ。」
「はじめから、自分が室長だときめてかかっているんだから、かなわないよ。」
「心臓だね、じっさい。」
「その心臓に負けて、いやいやながら全員|一致《いっち》の推薦《すいせん》をやったというわけか。」
「妙《みょう》なもんだね、選挙なんて。」
「選挙なんてそんなものらしいよ。どこでもたいていは心臓の強いのが勝っているんだ。」
「はっはっはっ。」
 次郎は、そんな対話の中にも、友愛塾に課された大きな問題があると思った。そして、かれらの話がどう発展していくかを興味をもって待っていた。かれらは、しかし、笑ったあと、急に口をつぐんでしまった。次郎が大便所の中にいることをだれかが思い出して、みんなのおしゃべりを制止する合い図をしたものらしい。
 次郎と大河とは、間もなく、それぞれに最初の大便所の掃除を終わって、となりの大便所に移っていた。まだだれも手をかけない大便所が、あいだに三つほどはさまっている。次郎は、さっきから、大河に話しかけてみたい気持ちは十分だった。しかし、遠くからのかけ合い話は、この場合、何となくぴったりしなかったし、また、雑巾をゆすぎに出たついでに、そっとのぞいて見た大河の様子が、いかにも沈黙《ちんもく》の行者《ぎょうじゃ》といった感銘《かんめい》をかれに与《あた》えていたので、口をきるのがよけいにためらわれるのだった。
 そのうちに、小便所の掃除が終わったらしく、それにかかっていた四人のうちの三人が、とん狂な笑い声をたてながら、大便所の掃除をはじめ、あとの一人が、たたきに水を流しはじめた。で、次郎は、二つ目の大便所の掃除をおわると、すぐそこを去って講堂のほうに行った。大河とは、ついに言葉をかわさないままだったのである。
 講堂では、掃除はもうあらかた終わって、机や椅子《いす》の整頓《せいとん》にとりかかるところだった。そこは、第一室と第二室の共同の受け持ちだったらしく、田川大作や青山敬太郎などの顔も見えていた。田川は、例のしゃがれた、激《はげ》しい号令|口調《くちょう》で、ほかの塾生たちをせきたてながら、自分でも椅子や机を運んで敏捷《びんしょう》にたちはたらいていた。これに反して、青山の態度はきわめて冷静だった。かれは、田川の声には無頓着《むとんちゃく》なように、並《なら》べられていく机の列をじっとにらんでは、そのみだれを正していた。――二人とも、それぞれに室長に選ばれていたのである。
 次郎が入り口に立って様子をながめていると、
「もうここはだいたいすんだようですよ。」
 と、みんなにきこえるような声で言いながら、教壇《きょうだん》をおりてかれのほうに近づいて来た塾生があった。飯島である。次郎は思わず苦笑した。何かむかむかするものが、胸の底からこみあげて来るような気持ちだった。しかし、かれはしいて自分をおちつけ、
「そうですね。」
 と、なま返事をして眼をそらした。そして、そのまま、すぐそこを去り、塾長室のほうに行った。
 塾長室の掃除は、朝倉先生夫妻が、空林庵の掃除をすましたあと、給仕の河瀬《かわせ》に手つだってもらって、自分たちの手でやることになっていたが、次郎も、都合がつきさえすれば、手つだうことにしていたのである。
 中にはいって見ると、もう掃除はすっかりすんでおり、河瀬がストーヴに火を入れているところだった。夫人は炊事場《すいじば》のほうにでも行ったらしく、朝倉先生だけが、まだあたたまらないストーヴのそばの椅子にかけて、手帳に何か書き入れていた。
「どんなふうだね。」
 先生は、次郎の顔を見ると、手帳をひらいたまま、たずねた。
「はあ――」
 と、次郎は笑いながら、
「例によって、指導者がいるようですね。」
「飯島なんかも、そうだろう。」
「ええ、とくべつ露骨《ろこつ》なようです。」
「田川はどうだい。」
「ちょっとその気があるようですが、軍隊式ですから、飯島とは質がちがいます。気持ちはあんがい純真じゃないかと思いますが……」
「そうかもしれないね。……それで、べつにこれまでと大して変わったこともなかったんだね。」
「ええ――」
 と、次郎はちょっと考えていたが、
「今のところ、平木中佐の影響《えいきょう》でどうこうというようなことは、全然ないように思います。」
「そりゃあそうだろう。それがあらわれるのはまだ早いよ。」
 それから、朝倉先生は、何かおかしそうにひとりで笑っていたが、
「それに、今朝はすいぶん寒かったし、平木中佐どころではなかったんだろう。」
 次郎は、すぐには、その意味がのみこめないで、きょとんとしていた。すると、先生は、
「こんな寒い朝に、死ぬ気になってみんながはね起きてくれると、平木中佐に感謝してもいいんだがね。」
 二人は声をたてて笑った。次郎は、しかし、すぐ真顔《まがお》になり、
「けさの板木《ばんぎ》の音、どうでした?」
「最初の朝にしては、めずらしいことだったね。時刻が非常に正確だったし、それに、打ち方がちっとも寒そうでなかった。」
「先生もそうお感じでしたか。」
「感じたとも。あんな落ちついた打ち方は今日のような寒い朝には、なかなかできるものではないよ。」
「僕もそう思って、わざわざ廊下に出て見たんですが、当番は大河君だったんです。」
「なるほど。そうか。――しかし、大河にしちゃ惜《お》しかったね。おしまいごろにはかんしゃく[#「かんしゃく」に傍点]をおこしていたようだったが。」
「はあ――」
 次郎はぎくりとして、うまく返事ができなかった。大河のにっと笑った顔と、その時言った言葉とがあらためて思い出されたのだった。かれはしばらく眼をふせていたが、
「おしまいのほうは、実は僕が打ったんでした。」
 それから、ちょっと柱時計をのぞき、
「その時、実は大河君にいわれたこともあるんですが、あとでゆっくり先生に教えていただきたいと思っています。」
 かれは、そう言うと、すぐおじぎをして、塾長室を出た。朝倉先生は無言のまま、かれのうしろ姿を見おくっていた。
 もうそのころには、塾生たちは、室内の掃除整頓をすべて終わって、最後に、廊下や、玄関《げんかん》や、そのほかの出入り口の掃除にかかっているところだった。むろんそうした掃除も、分担《ぶんたん》は一通りきまっていたが、厳密には境界が定められないために、塾生たちはかなり入りみだれていた。
 次郎は、すぐ、事務室の前から玄関にかけての掃除を手伝った。朝倉先生も、そのうちに塾長室から廊下に出て、みんなの様子を見ていたが、それもほんのしばらくで、すぐまた塾長室にもどり、椅子に腰《こし》をおろすと、そのまま何か深く考えこんでいた。
 掃除がすっかりすみ、洗面その他を終わると、みんなは広間に集まって朝の行事をやることになったが、それまでには、起床からたっぷり四十分ぐらいはかかっていた。次郎が、これまで毎朝、空林庵の寝ざめに親しんで来た雀《すずめ》の第一声がきこえるのは、ほぼその時刻だったのである。
 朝の行事は、まず室内体操にはじまった。それは友愛塾のために特に考案されたもので、その指導も指揮《しき》も次郎の役割だった。体操がすむと、朝倉先生の合い図で静坐《せいざ》に入った。これは就寝前の静坐にくらべると、いくぶんながかったが、それでも、せいぜい十四五分ぐらいだった。次郎は、今朝も足音をしのばせながら、塾生たちの姿勢を直してやった。
 静坐のあとは遥拝《ようはい》だった。――これは皇大神宮《こうたいじんぐう》と皇居《こうきょ》に対する儀礼《ぎれい》で、その当時は、極左《きょくさ》分子や一部のキリスト教徒以外の全国民によって当然な国民儀礼と認められ、集団行事においてそれを欠くことは、国民常識に反するものとさえ考えられていたのである。
 遥拝がすむと、おたがいの朝のあいさつをかわし、そのあと、もう一度静坐に入った。そして、それが三分もつづいたころ、朝倉先生は、自分も静坐|瞑目《めいもく》のまま、おもむろにつぎのような話をした。
          *
 越前永平寺《えちぜんえいへいじ》に奕堂《えきどう》という名高い和尚《おしょう》がいたが、ある朝、しずかに眼をとじて、鐘楼《しょうろう》からきこえて来る鐘《かね》の音《ね》に耳をすましていた。和尚は、今朝の鐘の音には、いつもにない深いひびきがこもっているような気がしたのである。
 やがて、最後のひびきが、澄《す》みわたった空に消え入るのを待って、和尚は侍僧《じそう》を呼んでたずねた。
「今朝の鐘をついたのはだれじゃな。」
「新参《しんざん》の小僧《こぞう》でございます。」
「そうか。ちょっと、たずねたいことがある。すぐ、ここに呼んでくれ。」
 間もなく、侍僧に伴《ともな》われて、一人のつつましやかな小僧がはいって来た。和尚は慈愛《じあい》にみちた眼で、小僧を見ながらたずねた。
「ほう、お前か、今朝の鐘をついたのは。……で、どのような気持ちでついたのじゃ
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