風が吹《ふ》きぬけて行くような心地が、かれにはしたのである。
 同時にかれはきわめて当然の事として、かれ自身がその青年塾の最初の塾生になる事を考えていた。朝倉先生に師事しつつ、塾生の立場から塾風《じゅくふう》樹立《じゅりつ》の基礎固《きそがた》めに努力し、しかもしばしば田沼という大人格者に接して親しく言葉をかわしている自分を想像すると、胸がおどるようだった。
 朝倉先生は、そのあと、計画中の青年塾について、あらましつぎのようなことを二人に話した。
 場所は東京の郊外で、東上線の下赤塚《しもあかつか》駅から徒歩十分内外の、赤松《あかまつ》と櫟《くぬぎ》の森にかこまれた閑静《かんせい》なところである。敷地《しきち》は約五千|坪《つぼ》、そのうち半分は、すぐにでも菜園につかえる。さる老実業家が自分の隠居所《いんきょじょ》を建てるつもりで、いろいろの庭木《にわき》なども用意し、ことに、千本にも近いつつじを植え込《こ》んでおいたところなので、花の季節になると、錦《にしき》をしいたような美観を呈する。
 隠居所の建築は、老実業家の急死で取りやめになった。相続者はその追善《ついぜん》のために、だれか
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