で仲よくなれないし、したがってほんとうの意味で愉快にもなれない。つまり人情の中の人情が味わえないということになるのである。――
「仲よく戒《いまし》めあい、仲よく尻をたたきあうということは、決してなまやさしいことではない。それをうまくやっていくには、随分《ずいぶん》とおたがいの心が深まらなければならないのである。ところで、心が深まるためには、やはりおたがいに戒めあい、尻をたたきあわなければならない。それは最初のうちは愉快でないかもしれないが、しかし、ある程度|辛抱《しんぼう》してやっていくうちには、かえってそういうことに大きな喜びを感ずるようになるものである。それは心が深まるからである。そしてそうなると、人間が加速度的に伸びていくし、喜びもそれに伴《ともな》っていよいよ大きく、高く、深くなっていくものである。――
「さて、第三にお願いしたいのは、おたがいの生活に組織を与《あた》えるための工夫をこらしてもらいたいということである。それは、むろん、ここの共同生活の体裁《ていさい》をととのえるために必要なのではない。組織のための組織を作るような弊《へい》におちいってならないことは、いうまでも
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