です。」
 次郎はほうっと深い息をした。それは安堵《あんど》の吐息《といき》ともつかず、これまで以上の深い苦悶《くもん》の吐息ともつかないものだった。
 二人はやがて立ちあがって、言い合わしたように富士を仰《あお》いだ。どちらからも口をきかなかった。富士は、三保で見たすらりとした姿とはまるでちがった、重々しい沈黙と孤独の姿を、青空の下に横たえていた。
 次郎は、その沈黙と孤独の奥に、自分の恋と自分をとりまく時代とが蛇《へび》のようにもつれあい、すさまじく鳴動《めいどう》して、自分の運命を刻々にゆさぶっているのを、まざまざと感じるのであった。
   ――――――――――
 次郎の生活記録は、こうしていろいろの問題を残したままその第五部を終わることになるが、この記録は、見ようでは、かれの生活記録と言うよりは、むしろ、満州事変後急速に高まりつつあったファッシズムの風潮に対する、一小私塾のささやかな教育的|抵抗《ていこう》の記録であり、その精神の解明である、と言ったほうが適当であるのかもしれない。少なくとも、その叙述《じょじゅつ》の半ばに近い部分がそれに費されていることは、否《いな》みがたいこ
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