生は、ある夕方、外出先から帰って来て室内を見まわしながら言った。
「せっかく整理してもらったが、近いうちにまた引越すことになるかもしれないよ。」
「あら。」
 と夫人は、めったに先生には見せたことのない不満な気持ちを、かるい驚《おどろ》きの中にこめて、
「やはり、こちらでは手ぜまでしょうか。」
 夫人がそういうと、次郎も、それが自分のせいだという気がして顔をくもらせた。先生は、しかし、笑いながら、
「手ぜまなのは、覚悟《かくご》のまえさ。越したところで、どうせ今度の家も広くはないよ。あるいは、ここよりも窮屈《きゅうくつ》になるかもしれん。実は、はっきり決まらないうちに話して、ぬか喜びをさせるのもどうかと思って、ひかえていたんだが、私がかねて考えていたことが近く実現しそうになったのでね。」
「考えていらしったことといいますと?」
「青年|塾《じゅく》のことさ。」
「あら、そう?」
 夫人はもう一度おどろいた。それは、しかし、深い喜びをこめたおどろきだった。
「土地や建物も、あんがいぞうさなく手に入ったんだ。何もかも田沼《たぬま》さんのお力でできたことなんだがね。」
 田沼さんというのは、
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