になおってもらうようにすすめた。しかし老は、黒眼鏡を真正面に向けたまま黙々としてすわっており、鈴田は眼をぎらつかせて手を横にふるだけだった。
 塾生はそれまでにまだ一名も集まっていなかった。それからおおかた五分近くもたって、やっと四十数名のものが顔をそろえたが、しかしみんなしも座のほうに窮屈《きゅうくつ》そうにかたまって、じろじろと荒田老のほうを見ているだけである。
「いやにちぢこまっているね。そんなふうに一ところにかたまらないで、もっとのんびり室をつかったらどうだ。」
 床の間を背にしてすわっていた朝倉先生が笑いながら言った。夫人は先生の右がわに少し斜《なな》め向きにすわっていたが、しきりに塾生たちを手招きした。
 塾生たちは、それでやっと立ちあがり、前のほうに進んで来るには来たが、しかし、今度おちついた時には、講演でもきく時のように、みんな正面を向いてすわっていた。しかも、朝倉先生との間には、まだ畳二枚ほどの距離《きょり》があった。
「これから懇談会をやるはずだったね。そうではなかったのかい。」
 朝倉先生が一番まえの塾生にたずねた。
「はあ。」
 と、たずねられた塾生は、何かにまごついたように、隣《とな》りの塾生の顔をのぞいた。
「これでは、しかし、懇談ができそうにもないね。一たい君らは、村の青年団で懇談会をやる時にも、こんな格好《かっこう》に集まるのかね。」
 みんながおたがいに顔を見合わせた。
「懇談会なら懇談会のように、もっと自然な形に集まったらどうだ。塾長と塾生とが川をへだてて相対峙《あいたいじ》しているような格好では、懇談できない。第一、これでは君らお互《たが》いの間の話し合いに不便だろう。そんなわかりきったことにまで一々世話をやかせるようでは心細いね。」
 そこでみんなは、まごつきながらも、もう一度立ちあがって、どうなり円座《えんざ》の形にすわりなおした。しかしまだ十分ではない。不必要に重なりあって、顔の見えない塾生もある。
 すると、先生の左がわにすわっていた次郎が言った。
「だいじょうぶ暴風のおそれはありませんから、そう避難《ひなん》しないでください。」
 とうとうみんな笑い出した。笑っているうちに、円座らしい円座がやっとできあがった。
 そんなさわぎの中で、荒田老はやはり眉《まゆ》一つ動かさないですわっており、鈴田はあからさまな冷笑をうかべて、みんなを見まもっていた。
 座がおちつくのを待って、朝倉先生がおもむろに話し出した。
「けさ式場で、ここの共同生活の根本になることだけはだいたい話しておいたが、これまで諸君がうけて来た団体訓練とはかなりゆきかたがちがっているのではないかと思うし、自然|腑《ふ》におちなかった点も多かろうと思うので、懇談にはいるまえに、念のため、もう少しくだいて私の気持ちを話しておきたいと思う。」
 次郎は荒田老の顔の動きに注意を怠《おこた》らなかった。黒眼鏡がかすかに動いて、朝倉先生の声のするほうに向きをかえたように思われた。
「私はまず諸君にこの場所を絶海《ぜっかい》の孤島《ことう》だと思ってもらいたい。偶然《ぐうぜん》にも諸君は時を同じゅうしてこの孤島に漂流《ひょうりゅう》して来た。私もむろん諸君と同様、漂流者の一人である。これまではおたがいに名も顔も知らなかったものばかりであるが、運命は、この孤島の中で、おたがいをいっしょにした。まずそう心得てもらいたい。――
「さて、そう心得ると、おたがいに知らん顔はできないはずである。それどころか、一人ぽっちでなくて、まあよかった、と胸をなでおろし、さっそく言葉だけでもかわしてみたくなるのが自然であろう。多人数の中には、一目見たばかりでいやな奴《やつ》だと思うような相手があるかもしれないが、それでも、絶海の孤島でこれから毎日顔をあわせるように運命づけられた相手だと思えば、好んでけんかをする気にはなれないだろう。できれば表面だけでも仲よく暮《く》らしたいと思うにちがいない。それが自然の人情である。憎《にく》みあうのも自然の人情の一種にはちがいないが、しかし、仲よく暮らすのと憎みあって暮らすのと、どちらがほんとうの人情に合するかというと、それはいうまでもなく前者である。というのは、憎みあって暮らすより、仲よく暮らすほうが愉快《ゆかい》だからである。人情の中の人情、つまりいっさいの人情の基礎をなすものは、愉快になりたいと願う心である。だれも不愉快になりたいと願うものはあるまい。憎みあうのが一種の人情だというのも、もとをただせば、相手が自分を不愉快にする原因になっているからだと思うが、しかし憎みあうことのために、決しておたがいが愉快にならないばかりか、かえっていっそう不愉快さを増すことが明らかである以上、憎みあうのは、いわばとまどいをしている人情
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