える。もしもぼくが、そうした運命観にとらわれて、正しく生きるための努力を放棄《ほうき》するならば、ぼくは円周のどの一点にも行きつくことができないであろう。ぼくにとって今たいせつなことは、運命によってしめつけられた自由の窮屈《きゅうくつ》さを嘆《なげ》くことではなくて、そのわずかな自由を極度に生かしつつ、一刻も早く円周の一点にたどりつくことでなければならないのだ。ぼくには、このごろ、やっと一つの新しい夢《ゆめ》が生まれかけている。それは、円周の一点にたどりつきさえすれば、そこから円周のどの点にも自由に動いて行けるのではないか、と思えて来たことだ。どんな偉人《いじん》にだって運命はあった。かれらがその運命を克服《こくふく》して自由になり得たのは、運命の中のささやかな自由をたいせつにし、それを生かしつつ、円周の一点にたどりつくことができた時ではなかったろうか。ぼくにはそう思えて来たのである。
ぼくは、ぼくの小学校時代、大巻の徹太郎叔父《てつたろうおじ》につれられて山に登り、岩を真二つに割って根を大地に張っていた松《まつ》の木を見たことを今思い出す。その時、徹太郎叔父に言って聞かされた言葉は、そのままには記憶に残っていないが、たしかに今ぼくが考えているのと同じ意味のことだったのだ。
ところで、運命の中のささやかな自由を生かすためには、いったいどうすればいいのか。その努力の心棒になるのは、いったい何なのだ。この問題の解決こそ、今のぼくにとっては何よりたいせつなことなのだが、ぼくの頭では、まだはっきりとした答が出て来ない。ぼくは中学にはいって間もないころ、生意気にも、「人に愛してもらうことなんかどうでもいい。これからは人を愛する人間になるんだ」というようなことを考えたことがあった。しかし、今から考えてみると、それは、愛にうえている自分のみじめさに腹がたち、子供らしい英雄《えいゆう》心理で自分をごまかしていたにすぎなかったのだ。むろん、ぼくは、「愛されたい願い」から、「愛したい願い」への心の転換《てんかん》を尊く思わないのではない。だが、それはしょせん人生の公式的教訓でしかないのではないか。だれが現実にそれができるというのだ。朝倉先生? 田沼先生? 大河無門? いや、人を疑ってはすまない。世の中にはすぐれた人もいるのだから、自分の心をもって人の心をおしはかるのはよそう。だが、少なくとも今のぼくにはできない。今のぼくは、正直に言って、やはり道江に愛されたいのだ。また、友愛塾をつぶした権力者や、それをとりまく人たちを心から憎《にく》んでいるのだ。ぼくの心に、そうした気持ちがうずをまいている限り、ぼくは、親鸞《しんらん》のあとに従って、自分を煩悩熾盛《ぼんのうしじょう》、罪悪深重《ざいあくしんちょう》の人間だと観念するよりしかたがないのではないか。
ぼくは、しかし、だからといって、決してやけ[#「やけ」に傍点]にはなりたくない。またなってもいないつもりだ。ぼくの今の気持ちは、迷うだけ迷ってみたいという気持ちだ。円周にたどりついたあとのほのかな夢だけを抱いて、もがきにもがいているうちには、きっとどこかに道が見つかるだろう。その道は、煩悩熾盛、罪悪深重のままで歩ける道であるのかもしれない。あるいは、公式的教訓にすぎないと思われたことが、次第《しだい》に現実性をおびて来るという形で現われて来るのかもしれない。そう思うと、迷いに迷うことがすでに一つの道である、という気もするのだ。これは自分の自慰《じい》にすぎないだろうか。
何だか、書くことが矛盾《むじゅん》だらけで、どこに自分の本心があるのか、わけがわからなくなってしまったが、わけがわからないのが現在の自分の姿であるとすれば、それもしかたのないことだ。ぼくは、あるいは疲《つか》れすぎているのかもしれない。今日は、日記を書くのはもうやめよう。」
[#ここで字下げ終わり]
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「次郎物語 第五部」あとがき
この物語の第四部を書き終えたのは、昭和二十四年の三月十八日であった。それからもうやがてまる五年になろうとしている。月日のたつのは早いものである。それにしても、第五部を書くために五年の歳月《さいげつ》はあまりに永過ぎるのではないかと怪《あや》しむ人も多いだろう。事実、多数の読者からは、ずいぶん怠慢《たいまん》だというお叱《しか》りもうけた。第四部の「あとがき」の手前、著者としては、ただ頭を下げるより仕方がない。しかし、言いわけをしようと思えば、その種がまるでないわけでもないのである。
実をいうと、第五部に筆をとりはじめたのは、第四部を書き終って間もない五月半ばであった。そして七月からは、その当時の私の個人雑誌「新風士」にそれを発表しはじ
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