対する正面切っての質問ともなった。そうした場合の朝倉先生の答えは簡単だったが、内容はいつも複雑だった。たとえば、
「何も知らない兵隊たちには、汚名《おめい》を負わせないですめばそれにこしたことはないだろう。」とか、
「報道者の苦心はなみたいていではないだろう。ちょっとした文章や声の調子にもそれがあらわれているのがわかるね。」
とかいうのであった。
報道は一報ごとに不安と疑惑《ぎわく》を増大せしめるようなものばかりであった。戦時警備令が下り、香椎《かしい》中将の下に第一師団と近衛《このえ》師団とがその任に当たることになったのは当然だとしても、叛乱軍の諸部隊が、そのまま警備部隊に編入され、それぞれの占拠地において警備に任ずることになり、戒厳令《かいげんれい》が布《し》かれてもやはり同様であった。しかも叛軍の一将校はその占拠地において民衆に、「尊皇義軍《そんのうぎぐん》」の精神を説くアジ演説をさえやった。また永田町首相|官邸《かんてい》の付近には、青年団体や日蓮宗《にちれんしゅう》の信者などが押《お》しかけて、ラッパを吹《ふ》き、太鼓《たいこ》を鳴らし、叛軍のために万歳《ばんざい》を唱えたが、どこからも制止されなかった。軍首脳部や長老の動きは頻繁《ひんぱん》で、その代表者は叛軍の説得に赴《おもむ》いたが、その結果はきわめてあいまいであり、しかもその夕方には、叛軍の疲労《ひろう》をねぎらう意味で首相官邸をはじめ、鉄道、文部、大蔵《おおくら》、農林の諸大臣の官邸や、山王ホテル、料亭《りょうてい》幸楽等が彼等《かれら》の宿舎として提供された。こうした矛盾《むじゅん》にみちた報道がつぎつぎに伝わる一方、二十八日の夕刻ごろからは、九段戒厳司令部の警戒《けいかい》が次第《しだい》に厳重を加え、叛軍包囲の態勢が刻々に整って行くかのような印象を与《あた》えるラジオ放送もちらちらきこえだした。
塾生たちが最も不安の念にかられたのは、二十八日夜から二十九日にかけてであった。皇軍相討《こうぐんあいう》つ危険が、こうした報道を通じて、避《さ》けがたいものに感じられて来たのである。ことに二十九日朝のラジオはアナウンサーの切々たる情感をこめた声をとおして、戒厳司令官の兵に対する原隊復帰|勧告《かんこく》の言葉をつたえ、いよいよ事態の切迫《せっぱく》を思わせた。司令官は、その中で、すでに奉勅《ほうちょく》命令が下ったことを告げ、それに従わないものは「逆賊《ぎゃくぞく》」であるということを明言し、「今からでも決しておそくはないから、直《ただ》ちに抵抗《ていこう》をやめて軍旗の下《もと》に復帰するようにせよ。そうしたら、今までの罪は許されるのである。」と諭《さと》し、また、「お前たちの父兄は勿論《もちろん》のこと、国民全体もそれを心から祈《いの》っている。」と訴《うった》えていた。
この放送は、これまでの矛盾にみちたいろいろの報道にはっきりした終止符《しゅうしふ》をうち、一部の塾生の頭にまだいくらか残っていた義軍の観念を一掃《いっそう》するに役だった。しかしそれだけに、それはまた流血の惨事《さんじ》を間近に予想させる原因でもあった。「逆賊」と決定したものをそういつまでも放任するわけには行くまい。もしかれらが直ちに原隊復帰を肯《がえ》んじないとすると。……そう思うと焦躁感《しょうそうかん》はいやが上につのり、それがめいるような悲哀感《ひあいかん》にさえなっていくのであった。
しかし、そうした不安の中にあった塾生たちも、二十九日夕方から三月一日にかけての諸報道によって、どうなりいちおうの落ちつきを見せた。叛乱兵は、一二の下士官をのぞき、二十九日の午後それぞれ原隊に復帰し、首謀者《しゅぼうしゃ》将校のうち数名は自決、その他は検束《けんそく》されて、ともかくも事件はいちおう終わったのである。
事変中、塾堂の諸行事の運営が、時間的にも内容的にも、目だつほどの狂《くる》いを見せたことは、幸いにして一度もなかったが、気分の波が常にそれに作用していたことは、さすがに見のがせないものがあった。しかし、その波も事変がすぎてみると、たいしてながくあとをひくというほどではなかった。月があらたまるとともに、むしろ台風一過の感さえあった。事変後の国内諸状勢の深刻さは、まだ多くの塾生たちの関心のそとにあったのである。
田川大作は意気|銷沈《しょうちん》の姿であり、何事についてもほとんど発言しなくなっていた。飯島好造は相変わらず多弁で、とかく話題を政治に向けがちだったが、その興味の中心は後継《こうけい》内閣《ないかく》の顔ぶれといったことにあるらしかった。またしばしば叛乱将校の個人に関する噂話《うわさばなし》などを、何かにつけやりだしたり、口ぎたなくかれらの罪状に追い討《う》ちをかけ
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