せながら、湯ぶねを出て、からだをふいていたが、みんなの笑い声がしずまると、言った。
「大河君の考えている恋愛と、君らの考えている恋愛との間には、かなりのへだたりがありそうだ。うっかり安心して、やたらに恋文を書いていると、今に大河君に叱られるかもしれないよ。」
みんなは、それでまた笑った。しかし、その笑いは、まえほどにぎやかではなかった。
次郎も、大河の議論のはじまる前から浴室にいた一人だったが、かれは、大河が話している間、湯ぶねの中には一度もはいって来なかった。それどころか、しじゅう自分の顔を大河からかくすようにさえしていたのである。しかし、だれよりも熱心に耳をかたむけていたのが、かれであったことは言うまでもない。
かれは、むろん、大河の言葉のすべてを肯定《こうてい》した。しかし、肯定すればするほど、やり場のない感情がかれの胸をしめつけ、ゆすぶり、にえたぎらした。
それは後悔《こうかい》でもあり、自嘲《じちょう》でもあり、怒《いか》りでもあった。かれは浴室に立ちこめた濃《こ》い湯気《ゆげ》の中にじっと裸身《らしん》を据《す》え、ながいこと、だれの眼にも見えない孤独《こどく》の狂乱《きょうらん》を演じていたのである。
九 異変(※[#ローマ数字1、1−13−21])
恭一からは、それっきり何の音沙汰《おとさた》もなかった。次郎には、日がたつにつれ、それが気になって来た。
自分であんな返事を出しておきながら、それに対して、恭一から押《お》しかえして、また何か言って来るのを期待するのは、おかしなことだし、むろん、返事を書くときに、それを予期していたわけでは毛頭《もうとう》なかった。それにもかかわらず、かれは、三日とたち、四日とたつうちに、朝夕二回配達される郵便物がしだいに待ちどおしくなり、その中にそれが見つからないと、失望もし、何か欺《あざむ》かれたような気にさえなるのだった。
しかし、また一方では、自分がそんな気持ちになるのを、するどく反省もした。そして反省の結果は、いつもたえがたい自己|嫌悪《けんお》と自嘲だったのである。
何という弱さだ。いや、何という見ぐるしさだ。いったい自分は、これまで自分を育てるために何をして来たというのだ。白鳥会以来の苦心と努力とは、いったい何を目あてにしたものだったのだ。こんなふうでは、自分は、里子《さとご》から帰って来た幼年時代と少しも変わったところがないではないか。いや、あのころの自分は、まだ今ほどには見ぐるしくはなかった。なるほど、自分はあのころ、虚言《きょげん》、策略《さくりゃく》、暴力、偽善《ぎぜん》、そのほかありとあらゆる卑劣《ひれつ》な手段を毎日もてあそんでいた。しかし、それらはすべて、自分の心の底からの願い、――自分にとっては生きるということと全く同じ意味をもつほどの、せっぱつまった願いをみたすために、自然が自分に教えてくれた手段だったのだ。自分は何よりもまず母の愛を求めていた。また、母をはじめ、肉親の人たちの自分に対する公平な待遇《たいぐう》を求めていた。それはあのころの自分にとって、決して不当な願いではなかったはずなのだ。いや、不当の願いでないどころか、それはかえって、自分を虚偽《きょぎ》や、策略や、暴力や、偽善から救い、正常な人間になるために、絶対に必要な願いであったとさえいえるのだ。その意味で、あのころの自分は、無意識的ではあったにせよ、自分に対してきわめて忠実であったと言えるのではないか。しかるに今はどうだ。今の自分のどこに少しでも真実さというものが残されているのだ。自分は、いったい、自分にとってどんなたいせつな願いを生かそうとしているのだ。どんなたいせつな願いを生かそうとして、兄に対してあんな返事を書いたというのだ。――
道江《みちえ》の生涯《しょうがい》の幸福のために?――なるほど、自分は心のどこかで、そんなことを考えていないのではない。だが、それがはたして自分の真実の願いだと言えるのか。道江と恭一との幸福な生活を将来に想像して、自分は今現に心の底からの喜びを感じていると言えるのか。正直のところ、心の底には、喜びどころか、むしろ呪《のろ》いに似た気持ちさえ動いているのではないのか。――
あらゆる苦悩《くのう》にたえて、そうした呪いに似た気持ちを克服《こくふく》するのだ、と、そう自分に言いきかせて、自分をはげますことに、ある誇《ほこ》りを感じていないのではない。だが、そうした誇りに生きることが、自分にとってはたしてのっぴきならぬ願いなのか。その願いのまえには、どんな他の願いも犠牲《ぎせい》にされていいほど自分にとって高価な願いなのか。もしそれが、それほど高価な、それほどのっぴきならぬ願いなら、兄からのつぎの手紙を期待するような今の気持ちは、いっ
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