ばらになって、まだ、まとまった案が何もできていないのです。ほかの室はどうでしょうか。」
 いくぶん気がひけるといった調子で、そういったのは、塾生中での最年長者でもあり、郡の連合青年団長でもあるというので、次郎が気をきかして、大河無門と同室に割り当てておいた、飯島好造という青年だった。職業は農業となっていたが、農村青年らしい風はどこにもなく、つやつやした髪《かみ》を七三にわけて、青白い額《ひたい》にたらし、きちんと背広を着こんだところは、どう見ても小都会のサラリーマンとしか思えなかった。
 本人が第五室といったので、朝倉先生もすぐ思いあたったらしく、名簿《めいぼ》を見ながら、たずねた。
「飯島君だね。」
「ええ。」
 飯島は、自分の存在がすでに塾長にみとめられているのを知って、ちょっと意外に感じたらしかったが、つぎの瞬間《しゅんかん》には、もう、いかにも得意らしくあたりを見まわし、自分をみんなに印象づけようとするかのような態度を見せていた。
 朝倉先生は、その様子を見まもりながら、
「そりゃあ、二時間や三時間のわずかな時間で、ここの生活全体についての案をまとめあげるわけには行かないだろう。しかし、部分的なことで、こんなことをぜひやってみたいというような希望なら、何か一つや二つはまとまりそうなものだね。」
「それがなかなかそうはいかないんです。」
 と、飯島は、もうすっかりなれなれしい調子になり、
「何しろ、責任をもって話をまとめる中心がないんでしょう。ですから、ただめいめいにわいわいしゃべるだけなんです。中には、手紙を書いたり、雑誌をよんだりして、話に加わらないものもありますし……」
「なるほどね。」
 と、朝倉先生は、飯島の言うことを肯定《こうてい》するというよりは、むしろさえぎるように言って、眼《め》をそらした。そしてちょっと思案したあと、
「ほかの室はどうだね」
 返事がない。塾生たちの大多数は、ただにやにや笑っているだけである。次郎は、第一室の一団に眼をやったが、気のせいか、どの顔も変に緊張《きんちょう》しているように思えた。
「どの室も、やはり同じかな。」
 と、朝倉先生は微笑《びしょう》しながら、
「すると、わずか六人の共同生活でも、だれか中心になる人がいないと、うまく行かないという結論になるわけだね。」
 みんなの中には、それを自分たちに対する非難の言葉とうけとって、頭をかいたものもあった。しかし、大多数は、それがあたりまえだ、といった顔をしている。とりわけ、飯島の顔にそれがはっきりあらわれていた。かれはいくらか抗議《こうぎ》するような口調で言った。
「ぼくは、中心のない社会なんて、まるで考えられないと思います。おたがいに協力することは、むろんたいせつですが、みんなが平等の立場でそれをやったんでは、どんな小さな社会でも、まとまりがつかなくなってしまうのではないでしょうか。」
「大事な問題だ。そういうことを理論と実生活の両面から、もっと深く掘《ほ》りさげて行くとおもしろいと思うね。平等という言葉なんかも、うかうかとは使えない言葉だし……しかし、そうした研究は、ゆっくり時間をかけてやることにして、とりあえず必要なことは、あすからの生活を具体的にどうやっていくかだ。まがりなりにもその生活計画がたたなくては、まるで動きがとれないのだから、さしあたり必要なことだけでも、きめておこうじゃないか。」
「そんなことは、先生のほうでびしびしきめていただくほうが、めんどうがなくていいんじゃありませんか。」
「めんどうがない? なるほどめんどうはないね。しかし、みんなでめんどうを見るのが、ここの生活ではなかったのかね。」
「しかし、それでは、時間ばかりくって、実質的なことが何もできなくなってしまうと思うんです。」
「何が実質的なことか、それも問題だ。君が時間のむだづかいだと考えていることに、あんがい人間としての実質的な修練に役だつことがないとも限らんからね。しかし、そんなこともおいおい考えることにしよう。そこでさっきの話だが、どの室でもわずか六人の話しあいが、今のままでは、うまくいかないということだったね。」
「そうです」
「各室だけの話しあいさえうまくいかないようでは、これだけの人数の共同生活が成りたつ見込《みこ》みは絶対になさそうだ。だから、まず、第一にその問題から解決してかからなければならないが、それはどうすればいいのかね。」
「室長といったものをきめさえすれば、何でもなく解決するんじゃありませんか。」
 飯島は、いかにも歯がゆそうに言った。
「そう。まあ、そんなことかな。室長というものが、はたしてどの程度に必要なものか、あるいは、六人ぐらいの人数では、これからさき君たちの生活のやり方|次第《しだい》で、その必要がないということに
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