大河の室割りには、ずいぶん苦心したらしいね。それほど神経に病《や》むこともなかったんだが。……しかし、まあ、どちらかというと、室長におされたりする可能性の少ないところがいいだろう。」
「ええ、それを考えまして、第五室には、大河より一つ年上で、郡の連合団長をやっている人を割り当てておいたんです。」
「なるほど。」
 朝倉先生は、何かおかしそうな顔をしながら、うなずいた。
 三人は、それから、そろって各室を一巡《いちじゅん》した。朝倉先生は、室ごとに、入り口をはいると、立ったままで無造作《むぞうさ》に言った。
「私、朝倉です。……こちらは私の家内《かない》で、寮母《りょうぼ》といったような仕事をしてもらうんだが、君らに、これから小母《おば》さんとでも呼んでもらえば、よろこぶだろう。……あちらの若い人は、本田君。君らの仲間の一人だと思ってもらえばいい。」
 それから、
「みんな汽車でつかれただろう。今晩は、宿屋にでも泊《と》まったつもりで、のんきにくつろぐんだな。もっとも、郷里にはがきだけはすぐ出しておくがいい。」
 そして、みんなが居《い》ずまいを正し、恐縮《きょうしゅく》しているような顔を、にこにこしながら見まわしたあと、すぐ室を出た。
 その日はそれっきりで、べつに何の行事もなかった。塾生たちは、朝倉夫人や次郎をはじめ、給仕の河瀬や、炊事夫《すいじふ》の並木夫婦《なみきふうふ》に何かと世話をやいてもらって、入浴をしたり、広間に集まって食事をしたり、各室で大火鉢《おおひばち》をかこみながら、各地のおみやげを出しあって茶をのんだりするだけのことだった。就寝《しゅうしん》の時刻についても、十時半になったらきちんと電燈《でんとう》を消すことになっているから、そのつもりで、という注意が与《あた》えられただけだった。何だか塾堂に来ているというより、修学旅行で宿屋に泊まっているという感じのほうが強かった。そして、そうした意味での親愛感なら、各室ごとには、もうたいていできあがってしまっていたのである。
 それでも、いざ就寝という時になって、どの室にもちょっとした混雑《こんざつ》が生じた。というのは、十|畳《じょう》の部屋に大火鉢一つと六人分の机とをすえ、そこに六人分の夜具を都合よくのべるのには、かなりの工夫と協力を必要としたからである。
 混雑は申し合わせたように十時ごろからはじま
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