ます。」
 そんな言葉をきいた時には、次郎は自分の心に一つの革命が起こったかのようにさえ感じたのである。
 その後、かれが朝倉先生に紹介されて親しく接するようになった田沼先生は、ふかさの知れない愛と識見《しきけん》との持ち主であった。かれは、田沼先生のそばにすわっているだけで、自分の血がその愛によってあたためられ、自分の頭がその識見によって磨《みが》かれて行くような気がするのであった。
 朝倉先生の開塾式における言葉もまた、次郎にとって新しい感激《かんげき》の種だった。先生は、人間が本来もっている創造の欲望と調和の欲望とを塾生|相互《そうご》の間にまもり育てつつ、何の規則もなく、だれの命令もなしに、めいめいの内部からの力によって共同の組織を生み出し、生活の実体を築きあげて行きたい、といった意味のことを述べた。そうした共同生活の根本精神は、次郎がこれまで白鳥会においておぼろげながら理解していたことではあったが、まだはっきりした観念にはなっていなかったので、非常に新鮮《しんせん》なひびきをもってかれの耳をうつたのである。
 塾生活の運営は、しかし、実際にあたってみると、朝倉先生の理想どおりに進展するものではなかった。次郎は、期間の半ばを過ぎるまで、先生の顔にも、しばしば苦悩《くのう》の色が浮かぶのを見てとって、自分も心を暗くすることがあった。しかし、期間の終りが近づくにしたがって、だれの顔にも次第に明るさが見えて来た。
「塾生の言動に、このごろ、やっとうらおもてがなくなって来たようだね。」
 先生が夫人に向かってそんなことをいったのは、期間もあと十日かそこいらになったころであった。それに対して夫人は答えた。
「ええ、そのせいか、このごろほんとうに心からの親《した》しみが感じられて来ましたわ。それに、塾生同士の話しあいで、いろんないい計画が生まれて来ますし、あたし、もう何にもお世話することありませんの。」
 期間の終わりに近く、全塾生は三|泊《ぱく》四日の旅行に出た。朝倉先生夫妻も、むろんいっしょだった。次郎も、それには学校を休んでもついて行きたかったのであるが、あいにく卒業試験の最中だったので、どうにもならなかった。かれはここに来てから、この時の留守居《るすい》ほど味気ない気がしたことはなかったのである。
 終了式《しゅうりょうしき》にもかれはつらなることができなかった
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