彼は、しかし、それからも、校内を方々歩きまわって、上級の生徒たちが幾人かかたまって話しているのを見つけては、その仲間に入り、それとなくストライキを煽動するようなことを言ったり、次郎をけなしたりすることを忘れなかった。
 その日、校長は県庁に行ったきり、ついに学校に顔を見せなかった。西山教頭が何度も電話口に呼び出され、ひるすぎには、五年全部の学籍簿《がくせきぼ》を抱えて県庁に出かけた。ということが、給仕の口から生徒たちに伝えられた。生徒たちには、それが何を意味するかは、さっぱりわからなかった。それだけに、不安な空気はひけ時が近づくにつれ、次第に濃《こ》くなって行った。
 それでも、その日は、森川の教員適性審査以上に大した出来事もなく、ひけ時から二十分もたつと、校内には生徒の姿は一人も見られなくなった。ただ先生たちだけが校長の帰りをまつために居残っていたが、もう話の種もつきたらしく、どの先生も、いかにも所在《しょざい》なさそうな、それでいて何となく落着きのない眼をして、教員室を出たりはいったりしていた。
 次郎は、新賀や梅本といっしょに校門を出た。新智と梅本とは、案外早く血書が県庁に届けられるようになったが、これはいいことだろうか悪いことだろうかとか、それが警察や憲兵隊の意志によったものだとすれば、恐らく結果は悲観的だろうとか、いや、警察や憲兵隊までが気にやむぐらいだから、却《かえ》って有望かも知れないとか、そういったことをしきりに話しあったが、次郎はただ道づれをしているというだけで、ほとんど合槌《あいづち》さえうたなかった。そして、二人に、「気分でもわるいんじゃないか。」と心配されながら別れたが、それから二丁ほどの街角まで来ると、彼は急に立ちどまって考えこんだ。街角を左にまがって少し行ったところに朝倉先生の家があるのである。
「朝倉先生が待っておいでだ。」――昨日父にそう言われたことが、彼には一日気にかかっていた。しかし、なお一層気にかかっていたのは、血書を書いた自分のことを先生が「かわいそうに」と言われたということだった。最初この言葉を父の口をとおしてきいた時には、それがあまりにも予期しない言葉だったために、ただ面くらっただけだった。しかし、彼にとって、朝倉先生の言葉は、とりわけそれが彼自身のことに関して発せられた場合、どんな片言|隻句《せきく》でも、軽い意味をもつものではなかった。彼はそのあと二階にねころんで、ひとりでいろいろと考えてみた。言葉がありふれた簡単なものだっただけに、かえって意味がつかみにくかった。もしそれが世間普通の人の口をもれた言葉だったら、血を流した自分に対する同情の言葉とも解されようし、また県当局という大きな相手を向こうにまわしたことに対するあわれみの言葉とも解されよう。しかし朝倉先生がそんな甘いお座なりを言われようはずがない。先生の愛情はもっと深いのだ。先生の言葉の奥にはいつもきびしさがある。われわれの心をむち打って一歩前進せしめないではおかないきびしさがある。先生はあるいは自分を始末に負えない飛びあがり者だと思われたかもしれない。「かわいそうに、己を知らないのにもほどがある!」それが先生のお気持だったのではあるまいか。
 そこまで考えて来た時に、ふと、隙間風のようにつめたく彼の頭をよぎったものがあった。それは、自分たちの運動が幸いに成功して、どうなり県当局の意志を動かし得たとして、先生は果して留任を肯《がえん》じられるだろうか、という疑問であった。この疑問は彼をほとんど絶望に近い気持にさそいこんで行った。先生のお気質として、そんなことが出来るはずがない。自分は、ただ一途に先生の留任を目あてに、血書を書いたりして一所懸命になっているが、先生にしてみると、落ちつくところは最初からはっきりきまっていたのだ。自分はただストライキに口火を与えるために、そして先生の最後に泥を塗るためにあの血書を書いたのではなかったのか。
 そう考えると、「かわいそうに」という先生の言葉の意味は、これまで考えたのとはまるでちがったものになって来た。先生は、その言葉に何もとくべつな意味をもたせようとされたのではない。ただ先生のはっきりしたご決意と自分に対する愛情とが結びついて、何の作為《さくい》もなくそんな言葉となってあらわれたまでだ。それにしても、先生のそのご決意について、自分がこれまで一度も考えてみようとさえしなかったということは、何という愚かさだったろう。先生が自分をどう考えていられようと、その意味で、自分はたしかに己を知らない飛びあがり者だったにちがいないのだ! 次郎の自己反省は、昨日以来、こんなふうに次第に深まって行くばかりだった。「かわいそうに」という言葉を、先生のごく自然な愛情の言葉だと思えば思うほど、それが深まって行くのだった。しかし、そうした自己反省の苦しみは、彼にとってはそうめずらしいことではなかった。彼は中学入学以来、とりわけ白鳥会入会後は、絶えず自己反省の苦しみを味わって来た、といっても言いすぎではなかったのである。だから、もしそれに朝倉先生の問題が直接結びついていなかったとすれば、彼は、きょう学校で、同級生たちにあやしまれるほど暗い顔はしていなかったかも知れない。彼を絶望に近いほどの気持にさそいこんで行ったのは、何といっても、朝倉先生の辞任が決定的であるということに気がついたことであった。彼はそれを思うと、もう何も考える力がなかった。幼いころ、乳母のお浜にわかれたあとのあのうつろな気持、母に死別れたあとのあの萎《しな》えるような気持、それがそのまま現実となって身にせまって来るような感じがして、きょうは朝から誰とも口をきく気になれなかったのである。
 街角に立って考えこんでいた次郎は、思いきったように道を左にとった。
 朝倉先生の家の玄関はひっそりしていた。案内を乞うと、裏口から奥さんがたすきがけのまま出て来て、
「まあ、本田さん、しばらくでしたわね。さあどうぞ。先生は書斎ですわ。」
 次郎は、強いていつもの通りの気安さをよそおって、靴のひもをといた。
「昨日はお父さんがいらっして下すって、きれいなお卵をたくさんいただきましたわ……鶏の方も、本田さん毎日お手伝い?」
「ええ、ときどき。」
 次郎は廊下をとおって書斎に行った。朝倉先生は机の上に巻紙をひろげてしきりに手紙を書いていた。もう五六通書きあげたらしく、封をしたのが机のすみに重ねてあった。次郎が敷居のすぐ近くに坐ってお辞儀をすると、
「やあ、いらっしゃい。……ついでにこれだけ書いてしまうから、ちょっと失敬するよ。」
 次郎は縁側ににじり出て、あぐらをかき、ぼんやり庭を眺めた。午後三時の日が、庭隅の夏蜜柑の葉を銀色にてらしているのが、いやにまぶしかった。
 五六分もたつと、朝倉先生は手紙を書き終えて、自分も縁側に出て来た。
「昨日はお父さんにいいものをいただいてありがとう。……君は当分来ないのかと思っていたが、よく来てくれたね。」
「先生、僕、申しわけないことをしてしまいました。」
 次郎は急いで膝を正し、縁板に両手をついた。
「血書のことが気になるのか。」
 と、朝倉先生は、ちょっと思案《しあん》していたが、
「しかし、私はうれしいんだよ。私のために血書まで書いてくれる教え子がいるのかと思うと。」
 次郎は、これまでにも、しばしば、自分の全く予期しない言葉を朝倉先生の口からきいて驚くことがあった。しかし、今の言葉ほど彼を驚かした言葉はなかった。これまでは、次郎が自分の考えに裏書してもらえると思っている時に、かえってそれを否定されたり、何か得意になっている時に、きびしい反省を要求されたりする場合が多かった。今のはまるでその逆だったということが、彼にとっては、この上もない驚きだったのである。
 彼のこの驚きは、同時に、目がしらのあつくなるような感激でもあった。彼はうつむいたまま、縁板についた手を、まるで女の子みたようにもじもじさした。朝倉先生はそれを見まもりながら、「君のお父さんは、君のやったことを生ぐさいと言っていられたが、なるほど生ぐさいといえば生ぐさい。たしかに思慮の足りないやり方だし、それに文明的ではないからね。しかし人間の真実な気持というものは、そのあらわれ方がどうであろうと、やはりうれしいものだよ。私はそれを味わうだけは素直《すなお》に味わいたいんだ。むろん私には私の行く道があるし、君の真実な気持を味わったからって、その道まで変えるわけにはいかないがね。」
 次郎は感激と失望の旋風《せんぷう》の中に、やっと身をささえているだけだった。あふれて来る涙が膝の上につっぱった腕をすべって、まだらに縁板をぬらした。
「それはそうと――」
 と、朝倉先生はわざと次郎から眼をそらしながら、
「学校の様子はどうかね。血書はやはり出したのか。」
「ええ……出しました。」
「君自身で?」
「いいえ、総務二人に新賀と梅本とが代表になったんです。」
「むろん校長先生に出したんだろうね。」
「ええ。しかし、もう県庁でも見ているんでしょう。校長先生が県庁にそれをもって行かれたそうですから。」
「そうか。」
 と、朝倉先生はしばらく考えこんだ。それから、伸びあがるようにして、生垣ごしに門の方を見、何度も首をふっていたが、
「そうか。じゃあ君はきょうここに来るんじゃなかったね。今度のことがすっかり片づくまでは、これからも君は来ない方がいいよ。君ばかりじゃない、新賀や梅本やそのほかの連中も同じだ。君のお父さんにも、当分お出で下さらんように言っておいてくれたまえ。」
「どうしてです。」
 次郎は、まだ涙のすっかりかわききれない眼を見はってたずねた。
「今の時代は、やたらに犬ばかりがふえて行く時代だからね。実は、この家のまえあたりにも、きょうの昼頃から背広を着た犬がうろつき出したらしいよ。」

 朝倉先生の声は低かったが、めずらしく憤りにみちた声だった。次郎は、さっき自分が街角に立って考えている時、変にじろじろ自分の顔を見て、二度ほどそばを通りぬけた四十近くの男のことを思い起した。

    五 道江をめぐって

 次郎は、まもなく、せきたてられるようにして、朝倉先生の門を出た。門を出るとすぐ、彼はまえうしろを見まわした。それから、曲り角のところまで来て左右を見、もう一度朝倉先生の門の方をふりかえったが、来しなに自分の顔をのぞいた男は、もうどこにも見えなかった。
 日はまだかなり高かった。かわいた砂地の照りかえしが眼にぎらついて、頭のしんが痛いようだった。彼は、何も考える気力がなく、ただいらいらした気持で町はずれまで来た。
 町はずれからは松並木の土手が広々とした青田のなかをうねってつづいている。左は、ほぼ五六間ほどの川で、向こう岸もやはり松並木の土手である。旧藩時代のさる名高い土木家が、北山の水を町にひくために開鑿《かいさく》した水路だそうだが、いつも探さ一二尺ほどの清冽《せいれつ》な水が、かなりな速度で、白砂の上を走っている。その水は町に流れ入る直前に直角にまがって一丁ほど東に流れ、もう一度直角に南にまがって、町はずれの橋の下をくぐっているのであるが、その角のあたりには、背丈《せたけ》ぐらいの渕が出来ており、夏になると、このへんの子供たちは、よくそこで水をあびる。土手をとおって通学している中学生の中にも、学校のかえり途には、子供たちにまじって水をあびて行くものが少くはない。次郎もおりおりその仲間に加わる一人だが、きょうは、とくべつ暑かったにもかかわらず、そこを見むきもしないで通りぬけてしまった。それから五六分も行くと、一心橋という橋がかかっており、道をへだてて、駄菓子やところてんなどを売る小さな茶店がある。次郎は、その半丁ほど手まえに来たとき、今までうつむきがちになっていた顔をあげて、ふと向こうを見た。すると、橋のたもとの大きな松の木かげに、帽子をわしづかみにして向こうむきに立っている一人の中学生が眼にとまった。馬田である。制服のボタンをすっかりはずして胸をは
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