彼女は、ただそれだけ言って引きさがろうとした。俊亮もべつに紹介しようともしない。
「奥さんでいらっしゃいますか。」
と、朝倉夫人が座ぶとんをすべって初対面のあいさつをしたが、くどくない、要領のいいあいさつだった。
夫人のあいさつがすんだあとで、先生もあいさつした。
「ご主人には始終ご厄介になっています。きょうは大変お手数をかけまして。」
そう言ったきりだった。
お芳は二人のあいさつに対して、「はい」とか「いいえ」とか「どうぞ」とか言うだけで、自分からはほとんど口をきかなかった。しかし、べつにまごついているようなふうでもなかった。かなり日にやけた頬に、例の大きなえくぼが柔かいかげを作っているのが、先生夫妻の眼には、いかにも素朴《そぼく》にうつった。
あいさつがすむと、もう古くからの知りあいででもあるかのような気安さが、二組の夫婦の間に流れていた。
「すぐおビールにいたしましょうか、よく冷えていますけれど。」
お芳が言った。
「うむ。奥さんにはサイダーをね。……しかし、先生、ちょっと汗をおふきになりませんか。風呂はわかしておりませんが、井戸端で行水でも。」
俊亮が言うと、
「
前へ
次へ
全368ページ中244ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング