い口調で非難したほどであった。
校長は、知事のことというと、まるで神様あつかいだったが、その点では、西山教頭はさほどでもなかった。彼はしばしば閣下という敬語さえ使わなかった。そしてこんなことも言った。
「君らは知事にさえお会いすれば、目的が達せられるように思っているが、朝倉先生の問題はそうは行かんよ。知事にだってどうにも出来ないことだからね。」
西山教頭に対する反感は反感として、この言葉だけは四人の代表の耳にぴんとひびいた。そして報告会のときも、とくべつ重要なこととしてみんなに伝えられた。
報告会は、校長との会見の都度《つど》、ごく簡単に休憩時間中に行われた。しかし、最後の会見――それは四人の代表がみんなにわいわい言われて、午後の授業を自分たちだけ休んでの会見だったが――のあとは、そうは行かなかった。集まった室は例によって、二階のつきあたりの五年の教室だった。そこには校友会の委員だけでなく、五年のほとんど全部と四年の一部とが押しかけて来ており、廊下まで一ぱいに人垣をつくっていた。そして一通り報告がすむまでは割合静かだったが、そのあとは蜂の巣をつついたように騒がしかった。発言もむろんもう委員だけには限られていなかった。
「もう血書を出してから、今日でまる三日だぞ。県庁はいったい、いつまで考えているんだ。」
「校長なんか相手にするのが、そもそも間違っている。なぜ最初から県庁にぶっつからなかったんだ。」
「代表はもっとしっかりせい。」
「代表だけじゃない。校友会の委員全部が甘いんだ。自分たちだけが血判をすれば、それで全校を代表するなんて考えるのは、そもそも生意気だよ。」
「ぐずぐずしていて、朝倉先生の退職が発表されたら、誰がいったい責任を負うんだ。」
「県庁に向かってすぐ行進を起せ。」
「行進は全校生徒でやるんだ。そのまえに授業を休んで、まず生徒大会をやれ。」
「そうなるともうストライキだが、みんなにその決心があるのか。」
「あるとも。目的が達しられなければ、どうせストライキと決まっているんじゃないか。」
「そうだ。道はもうはっきりしているんだ。」
そうした叫びがつぎからつぎに起って、事態はますます険悪になって行くばかりであった。座長の田上は、何度か手をあげたり、卓をたたいたり時には立ち上ったりして、みんなを制止しようとしたが、まるで効果がなかった。それは廊下に陣取っている一団が、わざとのように騒ぎ立てるせいでもあった。その一団の中には、ふだん馬田と親しくしている生徒たちの顔が幾人かならんでおり、馬田は教室内ではあったが、すぐその近くの窓ぎわに席を占めていたのである。
とうとうたまりかねたように新賀が立ち上った。しかし、立ち上っただけでは十分でないと見たのか、いきなり生徒机の上に飛びあがり、隣りあった二脚をふみ台にして、大きく足をふんばった。廊下も室内も急にしずかになり、みんなの視線は一せいに彼に注がれた。彼はちょうど室の中央にいたので、みんなは銅像をとりまいてそれを仰いでいるような恰好であった。彼のふみ台になった机によりかかっていた生徒たちは、眼をまるくして真下から彼を見あげた。
彼は一巡みんなを見まわしたあと、――といっても、真うしろの方には視線がとどかなかったが、――低いゆっくりした、しかし威圧するような声で言った。
「君らは、血書を出す時、ストライキは絶対にやらんという約束をしたのを、もう忘れたのか。」
「誰がそんな約束をしたんだ。僕らは知らんぞ。」
誰かが廊下の方から言った。
「君は誰だ。」
と、新賀は声のした方にじっと眼をすえ、
「この会は校友会の委員会だ。だから僕は委員諸君にたずねている。委員以外のものはだまっていてくれたまえ。」
廊下の方にぶつぶつ言う声がきこえ、室内もいくらかざわめき立った。新賀は、しかし、平然として、
「どうだ、委員諸君、君らは約束を忘れたのか。」
誰も答えるものがない。沈默の中にみんなの眼だけがやたらに動いた。
とりわけ動いたのは馬田の眼だった。彼は新賀が立ち上った瞬間から、冷笑するような、それでいて変に落ちつかない眼をして、あちらこちらを見まわしていたが、沈默がつづくにつれ、それが次第にはげしくなり、しまいには、顔をねじ向けて廊下の仲間の一団を見た。そして何かうなずくような恰好をしたあと、わざとのように天井を見、いかにもはぐらかすような調子で言った。
「そんな約束なんか、どうだっていいじゃないか。」
「ふざけるな!」
と、新賀は一喝して馬田をねめつけた。馬田もみんなの手まえ、さすがにきっとなって、
「ふざけるなとは何だ。僕はまじめだぞ。」
「一旦結んだ約束を、どうでもいいなんて、まじめで言えるか。」
「言える。目的にそわない約束は無視した方がいいんだ。」
「そうだ!」
前へ
次へ
全92ページ中32ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング