、あまり気のりのしないらしい返事をした。
「きいていて、すぐ帰って来ちまったの?」
まるで詰問でもするような調子である。次郎にくらべてやや面長な、いくぶん青味をおびた顔に、才気がほとばしっており、末っ子らしいやんちゃな気分が、その態度や言葉つきにしみでている。
次郎は答えない。
「みんなで君をさがしていたよ。」
俊三は、いつの間にか次郎を君と呼ぶようになっていたのである。
「僕を?」
「そうさ。でも、見つからないので五年の連中が四五人でうちにやって来ると言っていたんだ。」
「そうか。」
「もうじき来るだろう。来たら道江さんはいない方がいいね。」
それは決して俊三の皮肉ではなかった。次郎は、しかし、少し顔をあからめて道江を見た。さっきからのこともあり、二重の意味でうろたえたのである。
道江はすぐ立ちあがったが、しかし、もうその時には、階段の下には生徒たちのさわがしい声がきこえていた。階段は土間からすぐ上るようになっており、次郎や俊三の親しい友達は、時には案内も乞わないで上って来ることがあるのである。
次郎は、道江より先にいそいで階段の上まで行き、彼らをむかえた。そのため道江はどこにも落ちつくところがなくなり、次郎のうしろにかくれるようにして、彼らがあがって来るのをまっていた。
「どうしたい。きょうはばかにいそいで帰ってしまったじゃないか。」
そう言って最初にあがって来たのは、新賀だった。新智は次郎といっしょに彼らの年級では最初に白鳥会に入会した、とくべつ親しい友人で、よくたずねても来ていたので、道江ともいつの間にか顔見知りになっていた。
道江はいくらかほっとしたように、彼に目礼した。
新賀をむかえると、次郎はすぐ彼の先に立って自分の机のそばに坐った。そのため道江は、つづいて上って来る生徒たちを、階段のうえに立ってひとりでむかえるようなかっこうになってしまったのである。彼女は視線を畳におとして立っていた。新賀のほかに四人ほどいたが、彼らがつぎつぎに上って来て、自分のそばを通るのが何となく息ぐるしかった。しかし、何よりも彼女をおどろかしたのは、その最後のひとりが階段をのぼりきらないうちに、
「やあ、道江さんじゃありませんか。」
と、いかにも親しげに声をかけたことであった。
道江はぎくっとしたように顔をあげてその方を見たが、その瞬間、それまでいくらかほてっていた彼女の顔から、さっと血の気があせた。そして、いつもなら平凡なほど温和なその眼が、異様な光をおびて、まともに相手の顔を見つめ、きっと結んだ唇は、石のようなつめたさでふるえていた。驚きと、羞恥と、怒りと、侮蔑《ぶべつ》とをいっしょにしたような表情である。
相手は、階段をのぼりきると、そのまま道江の真正面に立って、変な微笑をもらした。殿様顔といってもいいほど目鼻立ちはととのっているが、口元にしまりがなく、何とはなしに下品に見える。涼しい風に吹かれているかのように、眼をほそめてまたたかせているのが、いかにもわざとらしく、それが口もとの下品さに輪をかけている。
道江は、彼から視線をそらして、すぐ階段をおりようとした。すると、彼はそれをさえぎるように言った。
「道江さんがこんなところに来ているなんて、夢にも思っていませんでしたよ。ここにはしょっちゅう来ますか。」
道江は、しかし、ふり向きもしないで階段をおりて行ってしまった。
「おい、馬田! さっさと坐れ。」
新賀がどなるように言った。馬田と呼ばれた生徒は、まだ階段の上につっ立って、道江のあとを眼で追っていたが、
「うむ。」
と、なま返事をして、べつにはずかしそうな顔もせず、ゆっくりと歩いて来て、一座の中に加わった。そして、次郎の顔を見てにやにや笑いながら、
「親類かい、君んとこの?」
「親類だよ。」
次郎の答えはぶっきらぼうだった。
「そんなこと、どうでもいいじゃないか。」
新賀が、またどなるように馬田をねめつけて言った。
「そうだ、ぐずぐすしていると、手おくれになるかも知れんぞ。朝倉先生はもう辞表を出されたそうだから。」
そう言ったのは、一年のころから、色の黒い美少年だという評判のあった梅本だった。すべてにひきしまった、しかしどこかに温かい感じのする顔が、馬田のだらしない顔といい対照をなしている。彼も白鳥会の一員になっているのである。
あとの二人は何か考えこんだように默りこんで坐っていた。ひとりは平尾、もうひとりは大山といった。平尾は出っ歯で、近眼で、みんなの中で一ばん不景気な顔をしているが、おそろしく記憶力のいい勉強家で、三年の頃からめきめきと成績をあげ、四年以来一度も首席を人にゆずったことがないというので有名になっている。大山は、その反対に三年の頃まではたいてい首席だったが、それから次第に少し
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