つものではなかった。彼はそのあと二階にねころんで、ひとりでいろいろと考えてみた。言葉がありふれた簡単なものだっただけに、かえって意味がつかみにくかった。もしそれが世間普通の人の口をもれた言葉だったら、血を流した自分に対する同情の言葉とも解されようし、また県当局という大きな相手を向こうにまわしたことに対するあわれみの言葉とも解されよう。しかし朝倉先生がそんな甘いお座なりを言われようはずがない。先生の愛情はもっと深いのだ。先生の言葉の奥にはいつもきびしさがある。われわれの心をむち打って一歩前進せしめないではおかないきびしさがある。先生はあるいは自分を始末に負えない飛びあがり者だと思われたかもしれない。「かわいそうに、己を知らないのにもほどがある!」それが先生のお気持だったのではあるまいか。
そこまで考えて来た時に、ふと、隙間風のようにつめたく彼の頭をよぎったものがあった。それは、自分たちの運動が幸いに成功して、どうなり県当局の意志を動かし得たとして、先生は果して留任を肯《がえん》じられるだろうか、という疑問であった。この疑問は彼をほとんど絶望に近い気持にさそいこんで行った。先生のお気質として、そんなことが出来るはずがない。自分は、ただ一途に先生の留任を目あてに、血書を書いたりして一所懸命になっているが、先生にしてみると、落ちつくところは最初からはっきりきまっていたのだ。自分はただストライキに口火を与えるために、そして先生の最後に泥を塗るためにあの血書を書いたのではなかったのか。
そう考えると、「かわいそうに」という先生の言葉の意味は、これまで考えたのとはまるでちがったものになって来た。先生は、その言葉に何もとくべつな意味をもたせようとされたのではない。ただ先生のはっきりしたご決意と自分に対する愛情とが結びついて、何の作為《さくい》もなくそんな言葉となってあらわれたまでだ。それにしても、先生のそのご決意について、自分がこれまで一度も考えてみようとさえしなかったということは、何という愚かさだったろう。先生が自分をどう考えていられようと、その意味で、自分はたしかに己を知らない飛びあがり者だったにちがいないのだ! 次郎の自己反省は、昨日以来、こんなふうに次第に深まって行くばかりだった。「かわいそうに」という言葉を、先生のごく自然な愛情の言葉だと思えば思うほど、それが深まって
前へ
次へ
全184ページ中47ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング