先生もあったが、そんなことで、どの先生もいやでも自分の綽名をはっきり知らされるという結果になった。もっとも、中学の先生で、自分にかぎって綽名はないなどと安心しているほどいい気な先生はないはずなのだから、それは大したことではなかったかも知れない。しかし、綽名といっしょに、自分の点数ときびしい評語とを知らなければならなかったということは、何といっても最近の大きな試煉であったに相違ない。ある先生は顔をひきつらせてガラス戸のまえに棒立になり、ある先生は一たん顔をまっかにしたあと、強いて微笑をもらした。しかしどの先生も最後には、自分にはまるで関係のないことだ、といったような顔をしてその場を立ち去った。ただ「あざらし」先生だけは、その綽名が自他共にゆるすほど有名になっていて、ごまかしがきかなかったためか、それとも、備考欄にあった通り、事実粗野の稚気ある性格の持主であったためか、その大きな口を思いきり横にひろげて、よごれた上歯をむき出し、天井を向いた鼻の下に灰色のあらいひげを針のように立て、内をのぞきながら、「わっはっは」と笑った。そして、「わしだけは合格の見込があるちゅうのか。どうかよろしくたのむよ。」と言うと、くるりとうしろを向いて、もう一度「わっはっは」と笑い、歯をむき出したまま、むらがっている生徒たちを押しわけて帰って行った。
 こんなふうで、校内はその日じゅう決して静かであったとはいえなかった。下級の教室までが何とはなしに落ちつきを失っていた。ふだんなら何でもないことにまで先生たちの神経がとがり、先生たちの神経がとがればとがるほど、生徒たちはその神経に触《さわ》ってみるのを楽しむといったふうであった。大垣前校長は、いつも先生たちに向かって、「生徒というものは、自分たちのために先生が命をすてるまでは、その先生を偉い先生だとは思わないものだ。それを覚悟の上でなくては、真の教育は出来ない。」と言っていたが、その意味をほんとうに理解した先生は、朝倉先生をのぞいては、おそらく一人もいなかったろうし、今では、どの先生にも、そんな言葉は単に言葉としてでも思い出されていそうになかった。こうして先生たちは自分を下手に護ろうとして、一歩一歩と自分を生徒たちの侮辱と嘲笑の中に追いこんでいたのである。
 次郎は、学校のこんな様子を、終日いかにも淋しそうに見守っていた。彼は、花山校長の鼻の移動の
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