てっていた彼女の顔から、さっと血の気があせた。そして、いつもなら平凡なほど温和なその眼が、異様な光をおびて、まともに相手の顔を見つめ、きっと結んだ唇は、石のようなつめたさでふるえていた。驚きと、羞恥と、怒りと、侮蔑《ぶべつ》とをいっしょにしたような表情である。
 相手は、階段をのぼりきると、そのまま道江の真正面に立って、変な微笑をもらした。殿様顔といってもいいほど目鼻立ちはととのっているが、口元にしまりがなく、何とはなしに下品に見える。涼しい風に吹かれているかのように、眼をほそめてまたたかせているのが、いかにもわざとらしく、それが口もとの下品さに輪をかけている。
 道江は、彼から視線をそらして、すぐ階段をおりようとした。すると、彼はそれをさえぎるように言った。
「道江さんがこんなところに来ているなんて、夢にも思っていませんでしたよ。ここにはしょっちゅう来ますか。」
 道江は、しかし、ふり向きもしないで階段をおりて行ってしまった。
「おい、馬田! さっさと坐れ。」
 新賀がどなるように言った。馬田と呼ばれた生徒は、まだ階段の上につっ立って、道江のあとを眼で追っていたが、
「うむ。」
 と、なま返事をして、べつにはずかしそうな顔もせず、ゆっくりと歩いて来て、一座の中に加わった。そして、次郎の顔を見てにやにや笑いながら、
「親類かい、君んとこの?」
「親類だよ。」
 次郎の答えはぶっきらぼうだった。
「そんなこと、どうでもいいじゃないか。」
 新賀が、またどなるように馬田をねめつけて言った。
「そうだ、ぐずぐすしていると、手おくれになるかも知れんぞ。朝倉先生はもう辞表を出されたそうだから。」
 そう言ったのは、一年のころから、色の黒い美少年だという評判のあった梅本だった。すべてにひきしまった、しかしどこかに温かい感じのする顔が、馬田のだらしない顔といい対照をなしている。彼も白鳥会の一員になっているのである。
 あとの二人は何か考えこんだように默りこんで坐っていた。ひとりは平尾、もうひとりは大山といった。平尾は出っ歯で、近眼で、みんなの中で一ばん不景気な顔をしているが、おそろしく記憶力のいい勉強家で、三年の頃からめきめきと成績をあげ、四年以来一度も首席を人にゆずったことがないというので有名になっている。大山は、その反対に三年の頃まではたいてい首席だったが、それから次第に少し
前へ 次へ
全184ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング