は、その乳房の二三寸奥の方からはじまったと言う方がおそらく正しいであろう。
ともかくも、お民のような母をもった子供が、生れ落ちた時に授かった天性をそのまま伸ばしていけるものかどうかは、すこぶる疑わしいのである。われわれは、これまで、次郎がしばしば怒り、悲しみ、あざ笑い、歎き、そしてさからうのを見て来た。また、時としては、疑い、悶え、省み、恥じ、そして考えこむ姿にも接して来た。彼は、勇敢であると同時に怯懦《きょうだ》であり、正直を愛すると同時に策謀を好む少年であるかにさえ思われたのである。あるいは、そういうのが彼の本来の面目であったかもしれぬ。そして運命がたえずそれに糧を与え、彼という人間を一層彼らしく育てあげていたとも言えるであろう。しかし、また、彼が天から授かった性質はもっと純粋でなごやかなものであったのに、運命がそれをゆがめ、こねまわして、遂に彼ならぬ彼を作りあげてしまった、と言えないこともないのである。だが、そうしたことの判断は、所詮《しょせん》、神様だけにおまかせするより仕方がない。かりにその判断が我々に下せたとしても、過去の運命というものが我々の手で帳消しできない以上、また
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